人間は視覚で美しさを感じ取り、味覚で甘さや辛さを識別し、触覚で温度を感じます。
また、嗅覚で匂いや香りを、聴覚で音を感じ取ることができます。
これら五つの感覚器官によって、私たちは世界を感じています。
しかし、五感だけで物事を感じるわけではないということに気づくことがあります。
たとえば、同じものを見ても、ある人には美しいと感じられ、別の人には不快に感じられるのです。
赤ちゃんのおむつを替える時、お母さんはその匂いを不快と感じないものです。
汚いとも思わないのです。
汚いとも思わないのです。
「こんな場所でおむつを替えてはいけません。味噌も糞も同じなんだから…」
昔、義母にそう注意された経験があります。
昔、義母にそう注意された経験があります。
時々、孫が餃子作りを手伝ってくれます。
彼が作る形の崩れた餃子も、とても美味しく感じます。
彼が作る形の崩れた餃子も、とても美味しく感じます。
愛は、臭いや汚れ、不味さや痛みといった感覚を鈍らせるのでしょうか。
長女が子供を失った時、ショックで涙さえ流れなかったと言います。
花の香りも、心地良い音楽も感じられなかったと…すべての感覚が麻痺したかのように…
いいえ、感覚器官ではなく、心が麻痺したのでしょう。
これは娘を悲しみから守るための心の防衛反応でしょうか。
私たち人間は感覚器官を通じて感じるだけでなく、 それを「心」でさらに感じ取っているのでしょう。
目で見たもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの…
最終的には、これらすべてが私の「心」で感じ取られています。
心は視覚のフィルターです。
私たちが見るものは、心というフィルターを通じて感じられるのです。
私たちが見るものは、心というフィルターを通じて感じられるのです。
娘たちが小さかった頃、ベッドで即興のお話を聞かせてあげたことがあります。
「それからどうなったの?」と何度も尋ねられたので
私の頭はフル回転で、物語を作り上げたものです。
その時のお話を一つご紹介します。
広々とした牧場で、一匹の白い羊が草を食べているのを見つけました。
それを見た人が言いました。
「アッ、白い羊だ!」二人目は「赤い羊だ!」と主張しました。
そして、三人目は「違うよ、茶色の羊だ」と反論しました。なぜ同じ羊を見たのに、白、赤、茶色に見えたのでしょうか?
(う~ん なぜ~?)
それはね・・・
赤く見えた人は赤いサングラスをしていたの。
茶色に見えた人は茶色のサングラスをかけていたんです。
(なぁ~んだ! そっか~~)
同じものを見ても、人それぞれに違って見えたり感じたりするでしょう。 それは、心にサングラスをかけているからですよ。(心にサングラス? どうやってかけるの?)