そばにいてあげることが愛 〜95歳の母の願いと娘の決意〜

家族

母が95歳のお誕生日を迎えました。
母は介護施設グループホームで暮らしています。
コロナ禍を経て、少しずつ母の様子が変わっていきました。

面会に行くたび、母は私の顔をじっと見つめます。
すでに、私の名前
忘れました。
もう自分で立ち上がることができません。
移動するときは車いす、眠るときには眠剤の助けを借ります。

しかし、優しい笑顔だけは、まだまだ忘れていません。
私のために、懐かしい歌を何度何度も繰り返し歌ってくれます。
その声に、母の深い愛と、長い人生の歩みが重なって聴こえてきます。


7年前、母が入所して間もない頃、ある歌を施設から贈られました。
『手紙〜親愛なる子どもたちへ〜』――
作者不明のポルトガル語の詩を翻訳した歌詞に、

樋口了一さんが美しいメロディーを添えたあの曲。
母から私への手紙のように感じて、涙が止まりませんでした。

母からもらった私へのメセージでした。

「もっと母を理解してあげたい」「もっと優しく寄り添いたい」――
その思いを抱えて、あれから7年があっという間に過ぎました。
そして今、その歌詞の一言一言が、母の現実となっています。

先日、施設の職員の方に尋ねられました。
「お母様が、もし何も召し上がれなくなったら、どうされますか?」

私は、しばらく黙ったまま返事ができませんでした。
母と過ごした日々、母の温もり、母のまなざし。
すべてが胸の中でよみがえり、やがて一つの答えにたどり着きました。

「家に連れて帰ります」

その言葉を口にしたとき、私の心の奥に小さな灯がともったような気がしました。
悲しいことではないんです
そばにいてあげることが愛・・・。
最期は寄り添って一緒にいてあげたいんです。


それは、母の愛に応える、私なりの決意の証でした。

『手紙〜親愛なる子どもたちへ~』

『手紙〜親愛なる子どもたちへ~』
作詞:不詳 訳詞:角智織 日本語補詞:樋口了一 作曲:樋口了一

年老いた私が ある日 今までの私と 違っていたとしても
どうかそのままの 私のことを 理解して欲しい


私が服の上に 食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れても
あなたにいろんなことを 教えたように 見守って欲しい


あなたと話す時 同じ話を何度も何度も 繰り返しても
その結末を どうかさえぎらずに うなずいて欲しい


あなたにせかまれて 繰り返し読んだ絵本の あたたかな結末は
いつも同じでも 私の心を 平和にしてくれた


悲しいことではないんだ 消えて去って行くように 
見える私の心へと 励ましの まなざしを 向けてほしい


楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり
お風呂に入るのを いやがることきには 思い出して欲しい


あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて
いやがるあなたと お風呂に入った 懐かしい日のことを


悲しいことではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に
祝福の祈りを捧げて欲しい


いずれ歯も弱り 飲み込むことさえ 出来なくなるかも知れない
足も衰えて 立ち上がる事すら 出来なくなったなら


あなたが か弱い足で 立ち上がろうと 私に助けを求めたように
よろめく私に どうかあなたの 手を握らせて欲しい


私の姿を見て 悲しんだり 自分が無力だと 思わないで欲しい
あなたを抱きしめる力が ないのを知るのは つらい事だけど


私を理解して支えてくれる心だけを 持っていて欲しい
きっとそれだけで それだけで 私には勇気が わいてくるのです


あなたの人生の始まりに 私がしっかりと 付き添ったように
私の人生の終わりに 少しだけ付き添って欲しい


あなたが生まれてくれたことで 私が受けた多くの喜びと
あなたに対する変らぬ愛を 持って笑顔で答えたい


私の子供たちへ
愛する子供たちへ


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