たとえ音を失っても感謝に変えて輝いて生きる~難聴~

すべてに感謝して

聞こえない音に感謝して

私には聞こえない音が存在します。この事実を初めて知ったのは、40年前、幼い娘がバイオリンのレッスンを受けていた時のことでした。高い音が聞こえないという、いわゆる高音障害の難聴があると気づいたのです。

年を重ねるにつれて、この耳の不自由さをますます実感するようになりました。4、5人の会話が困難になり、虫や鳥のさえずりが聞き取れず、コンサートや演劇の鑑賞も楽しめなくなりました。重要な会話を理解できないことで、対話そのものが苦痛となり、人と会うことが恐怖に感じられるようになっていったのです。社会から取り残されたような感覚に陥り、脳の機能が衰えていくような気さえしました。


アメリカでの特別な出会い

そんな状況の中、20年前にアメリカで宣教活動をしていた際に、一人のイスラム教の女性牧師と出会いました。彼女は人のオーラを肉眼で見ることができ、性格や置かれている環境まで言い当てる不思議な能力を持っていました。

私が日本に帰国することを知っていた彼女は、帰国の前日に私を呼び出し、じっと私を見つめた後、こう言いました。

“あなたには紫と緑のオーラが見えるの。そして、右側に赤いオーラがあるわ。赤は怒りを意味するわ。体の右側に何か問題でもあるの?そのことで神様を憎んできたでしょう?神様はあなたに多くの恵みを与えていますが、恨みがあるために、それに気づかないのよね。 “あなたがアメリカに来た理由はわからないけれど、素晴らしい目的があるようですね。神様からの大切な使命を帯びて来られたのですね。”

耳が悪いことを嘆くたびに、私は神様を悲しませていた・・・その事実を知り、涙が止まりませんでした。


苦しみを感謝に変え輝いて

その日以来、私は聞こえない事に不平を言わないと決めました。耳の不自由さを通じて与えられた素晴らしいものに感謝することにしたのです。神様は、この経験を通して、同じ悩みや痛みを抱える人々を理解し、寄り添う力を私に与えようとしてくださっている…そう感じるようになりました。

それから20年が経ち、現在は障害者手帳を持ち、両耳に補聴器を使用しています。
そして、驚くことは現在15歳になる孫がサイトメガロウイルス感染による難聴で生まれてきたのです。
その時は自分の事より孫の苦しみに泣きました。
私は、未だに生まれながらに音を失った孫の心にさえ十分に寄り添い、理解できているとは言えません。しかし、ろう学校に通う孫は、大人の心配をよそに、幼い頃から抱いた夢に向かってとても優秀なのです。

耳が聞こえにくくなっても、心で聴くことはできます。見えるものだけでなく、感じるものに目を向け、他者の喜びの為に精一杯歩む・・・それが私達に与えられた道であり、喜びでもあるのです。

私と孫はこう心に誓っています。
「すべてに感謝しよう。神様が与えてくださった使命を全うし、精一杯を尽くせる人になろう」と。


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