「子は親の背中を見て育つ」とよく言われます。
では、子どもが本当に見ている“背中”とは、どんな姿なのでしょうか。
30年以上教職に携わった友人の体験は、その答えを深く考えさせてくれるものでした。
■ “頑張る姿”だけでは伝わらなかったもの
友人夫婦は、誰よりも真剣に働いてきました。
夫は一流企業の店長として、土日も深夜も休みなく働き続け、部下のノルマまで背負う日々。
妻である友人も教師として、問題対応に追われ、家でも仕事が終わらない毎日でした。
その結果、家で子どもにかける言葉は「早くしなさい!」の命令形ばかり。
親子で向き合う時間はほとんどありませんでした。
お休みといえば盆と正月だけでした。
そんなある日、中学生の息子が家の鍵を忘れ、
窓ガラスを割って帰宅する出来事が起こります。
父は窓がエラスの修理代がかかると言って激怒しましたが、
友人ははっと気づきました。
息子の問題ではなく、問題は“自分たちの生き方”だったのだと。
■ 親の姿は、努力ではなく“日常の愛”で記憶される
息子はその後、進学も就職もうまくいかず、しばらくニートの状態に。
父は「親が頑張って働いていれば子は自然に育つものだ」と言いました。
しかし友人は反論しました。
「息子が見ているのは、職場で頑張る私たちの姿ではなく、
家で飲んだくれた父親の姿、相談しても聞いてもらえなかった日常の姿だったのよ」
そして彼女は悟りました。
――子育ては、親自身も育てられる「親育て」なのだと。
子どものつまずきは、親に見直す機会を与える鏡。
親が変われば、子もまた変わっていくのです。
互いのために尽くす愛、家族の絆、日々の小さな奉仕こそが、次の世代の心を育てるのです。
■ 10年の時を経て、親子に奇跡が起きた
不安と葛藤の日々は十年以上続きました。
しかし今では、息子さんは父の職場で共に働き、周囲に愛される存在に。
優しい心はそのままに、立派に社会で生きています。
友人は、その経緯を語り終えたあと、こう言いました。
「子どもは、親の“肩書きや成功”ではなく、
日々の“愛の姿”を感じて育つのだと思うの」
■ 韓鶴子総裁の言葉に重なる真理
韓鶴子総裁はこう語られています。
『子供が欲しいものは、親の社会的成功ではなく、
子供が必要としているのは、両親の愛情なのです』
『子供にしてあげられる最大の贈り物は、
父母が仲良く、喜んで為に生きる姿です』
親が互いに愛し合い、誰かのために生きる姿。
その“背中”こそ、子どもの一番の教科書となります。
日常の中で親の為に生きる姿は、子どもに愛と奉仕の心を自然に伝えていきます。
■ 肩書よりも、成果よりも、日常の愛が子を育てる
忙しい毎日の中で、つい忘れてしまいがちなこと。
それは――
親の立派な肩書でも、努力の量でもなく、
日々の“愛のあり方”こそが、
子どもの心に深く刻まれていきます。
親の”愛のために生きる姿”こそ、
子どもの一番の教科書になるということなのです。
そしてその過程は、
子どもが育つと同時に、親も育てられていく「親育ての道」です。
