彼女へ宛てた最後のラブレター~風に立つライオン~

愛をもって

こんにちは。
今日は、心がそっとあたたかくなるお話をお届けしたいと思います。

『風に立つライオン』という歌をご存じでしょうか?
さだまさしさんが1987年に発表した楽曲で、アフリカ・ケニアの僻地で医療に尽くした日本人医師・柴田紘一郎さんの実話に基づいています。

単なる医師の物語ではなく、人間の本質に迫る深いメッセージを持っているのではないかと思いました。

物語の主人公は、医師としての信念を貫くために、恋人を日本に残し、
遠い異国の地へ旅立ちました。

はじめは「人を助けたい」という想いが原動力でしたが、現地の人々との日々を通して、
彼はこう気づきます。

「助けているつもりだったけど、実は自分が“生かされていた”んだ」と。

見返りを求めない優しさ、無償の愛と感謝。
彼の中で、医師としての誇りは、人としての謙虚さと祈りへと変わっていきました

そしてある日、かつての恋人から届いた結婚を報告する一通の手紙。
そこには責める言葉ではなく、“許し”と“祝福”が込められていました。

彼はその手紙に、「あなたの幸福を、遠くから祈っています」と返します。
そして最後に、静かにこう結びました。

「ありがとう さようなら」

とても静かで温かく、深い愛のこもった言葉です。
そこには、未練や後悔ではなく、彼女への感謝と幸福への祈りを感じさせます。

“許し”とは、決して相手を見捨てず、むしろ慈しむこと
そこには、優しさと強さが必要ですね

相手を思う祈りはやがて愛に変わり、愛は感謝を生み、
感謝はまた誰かへとつながって
いきます。

そんな優しさと愛の連鎖を、この歌は教えてくれます。

人は誰かに助けられながら生きています
そのことに気づいたとき、私たちはより優しく、強くなれるのかもしれません。

この優しさと強さと愛の連鎖が、人を許し、人を救い、そして世界を少しずつでも良い方向へと動かしていくのかもしれません。

それが、「風に立つライオン」が私たちに教えてくれる大切なメッセージなのでしょう。

  • “生きる”とは、人に奉仕し愛すること。
  • “生かされる”とは、人の愛を受け取ること。
  • “許し”とは、優しさと強さを持って相手を見捨てないこと。
  • “祈り”は善の心を呼び覚まし、愛を循環させる力を持つ。

このようなメッセージは、医師・柴田紘一郎さんが、ケニアの大自然の中で神と共にあり命の尊厳と対峙していたからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っていたのかもしれません

柴田紘一郎(しばた・こういちろう)さんは、2025年2月19日逝去されました。
84歳でした。

『風に立つライオン』
(作詞・作曲 さだまさし)

突然の手紙には驚いたけどうれしかった
なにより 君が僕をうらんでいなかったということが
これからここで過ごす僕の毎日の大切なよりどころになります
ありがとう ありがとう

ナイロビで迎える三度目の四月が来ていまさら 千鳥ヶ淵で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷ではなく東京の桜が恋しいということが 自分でもおかしいくらいです おかしいくらいです
三年の間 あちらこちらをまわり
その感動を君と分けたいと思ったことがたくさんありました
ビクトリア湖の朝焼け 百万羽のフラミンゴが一斉に飛び立つとき暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
なにより僕の患者たちのひとみの美しさ
この偉大な自然の中で病(やまい)と向かい合えば
神様について ヒトについて考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけれど なにか大切なところで道を間違えたようですね

去年のクリスマスは国境近くの村で過ごしました
こんなところにもサンタクロースはやってきます 去年は僕でした
闇の中ではじける彼らの祈りと激しいリズム 南十字星 満天の星 そして天の川
診療所に集まる人々は病気だけれど 少なくとも心は僕より健康なのですよ
僕はやはり来てよかったと思っています 辛くないといえば嘘になるけど しあわせです
あなたや日本を捨てたわけではなく 僕は現在(いま)を生きることに思い上がりた
くないのです
空を切り裂いて落下する滝のように 僕はよどみない命を生きたい
キリマンジャロの雪 それを支える紺碧の空
僕は風に向かって立つライオンでありたい

くれぐれも皆さんによろしく伝えてください
最後になりましたが あなたの幸せを 心から 遠くから いつも祈っています
おめでとう さようなら

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