葬儀の最中に涙をポロポロこぼして泣いているお坊さんがいました。
一般の参列者に混じって、何度も涙を拭いています。
とても不思議な光景でした。
あまり泣くので、きっとこのお坊さんは故人と深い関係の方だと
参席者は誰もそう思っていたことでしょう。
ところが・・・
故人の家族も親族も誰も知らない方でした。
この袈裟をまとったお坊さんは、
いったい誰なのでしょう。
なぜ、一般席で号泣していたのでしょう。
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タイムスリップしてみます。
30年以上の長い付き合いをして来た友人のご主人が、
先日、肺癌で亡くなりました。
3か月前・・・
ご主人は体調が悪いと言って病院に行ったそうです。
ところが、既に末期の状態で即入院。
医者から余命宣告を受けると、
本人は自宅療養を希望しました。
闘病を家族と一緒に過ごす貴重な時間の中で、
妻も家族も悔いと涙を清算していったそうです。
3か月というあまりにも短い時間でしたが、
家族にとっては幸福な時間だったそうです。
最後の最後まで、家族に見守られて逝かれたのです。
妻は夫のエンディングの全てを子供達と相談しながら、
葬送のその日を覚悟し準備していました。
だから、困ったり慌てることもなかったそうです。
涙も悔いも残さなかったそうです。
ただ、葬儀のスタイルは・・・
ご主人の希望により仏式ではなく教会式でした。
斎場を教会でなく一般の斎場にしたのは、
参列者や親族のための配慮だったそうです。
葬儀の前日、自宅に電話がかかってきました。
「私が明日伺ってもよろしいですか?」
電話の方は菩提寺のご住職さん。
会ったことも話したこともないご住職さんが、
ご主人の訃報を知って連絡してきたそうです。
葬儀の数日後、妻がご住職さんにお礼の電話をすると・・・
「今まで拝見しことがない立派なご葬儀でした。
本当に感動しました!」
そうなんです・・・
実は、葬儀の席で盛んに泣いていたお坊さんは・・・
このご住職さんだったのです。
たくさんの葬儀を経験したであろうご住職さんが
こんな感想を言ったそうです。
教会式の葬儀は・・・
牧師の主礼でメッセージと祈りで行われます。
お経やお線香も焼香もありません。
お花で埋め尽くされた明るく美しい会場と祭壇は
まるで結婚式のような雰囲気です。
死は命の終わりを意味するのではなく、
別の世界に行く「永遠の命の出発の式典」です。
讃美歌の美しい調べと満載の献花と供花で
故人の旅立ちをお見送りします。
泣いたり、悲しんだり、ガッカリしたら
天国に昇って行く故人を引きずり下ろすようなものです。
私達夫婦も、火葬までお供をさせていただきました。
この一連の葬儀で、私もあのお坊さんのように、
感動で涙が止まらなかった場面がありました。
それは、30代の息子さんの父親を送る「送辞」でした。
お父さんの遺影に向かって息子さんが静かに語りかけました。
「オヤジ・・・」の呼びかけで始まり、
子供のころ父親と一緒に遊んで楽しかったこと。
バイクや車が好きだった父親の影響で、
自分もバイクと車が好きになったこと。
自分の事で心配かけた、そのことへの謝罪と感謝の言葉。
そして最後は・・・
「オヤジ!・・・オヤジ!・・・ありがとう!」
「何も心配しないで行ってください!」
原稿もなく父親に切々と呼びかけた言葉は、
親愛なる父親へのラブレターでした。