いまから38年前、32歳のとき、私は重い病を患わずらい、
医者から「もう長くは生きられない」との宣告を受けました。医者から見放され、自分の命が刻々失われていく恐怖と絶望の日々、
両親は私に、ある禅寺に行くことを勧めました。
藁わらをも掴つかむ思いで、その寺に行きましたが、
そこには何かの不思議な治療法があるのではとの期待は、
すぐに打ち砕かれました。
寺を訪れると農具を渡され、
ただひたすら畑仕事で献労をすることが求められたのです。明日の命も知れぬ自分が、
なぜこんな農作業をやらなければならないのか。
そう思いながら鍬くわを振り下ろしていると、不意に横から
「どんどん良くなる! どんどん良くなる!」 と叫ぶ声が聞こえてきました。
見ると一人の男性が懸命に鍬を振り下ろしている。
しかし、その足は大きく腫はれ上がり、
ひと目で腎臓を患っていることが分かりました。
休憩時間に声を掛けると、その男性は言いました。
「もう10年、病院を出たり入ったりですわ。
一向に良くならんのです。
このままじゃ家族が駄目になる。
自分で治すしかないんです!」その覚悟の言葉が胸に突き刺さってきました。
そして、その瞬間、一つの思いが湧わき上がってきました。
「そうだ、自分で治すしかないんだ!」
それまで自分は、医者が治してくれないか、
この寺が何とかしてくれないかと、常に他者頼みであり、
自分の中に眠る無限の生命力を信じていませんでした。
それが最初の気づきでした。
それから数日後、山の中腹の畑を耕しに行くことになりました。
当番になった私が仲間に農具を配り終え、
先に出発した仲間を追って山道を登り始めると、
思わず言葉を失う光景を目にしました。それは、足を患っている献労仲間の老女が、
鍬を杖つえにして、山道を必死に登っていく姿でした。農作業はおろか、歩くことすら困難なのに、
不自由な足で、鍬にすがりながら、山道を登っている。しかし、その後姿から、その老女の覚悟の声が聞こえてきました。
「たとえ畑に辿たどり着けなくとも良い!
私は全身全霊、この命を振り絞って登り続けます!」私は思わず心の中で手を合わせ、
「有り難うございます。大切なことを教えて頂きました」
と念じながら、横を通り過ぎていきました。その献労の日々を続け、寺の禅師との接見がかなったのは、
ようやく九日目の夜でした。
長い廊下を渡って部屋に入り、一対一で向き合った禅師は、
力に満ちた声で私に聞きました。
「どうなさった」
「はい、実は・・・」
私は堰を切ったように苦しい胸の内を吐き出しました。
重い病気を患っていること、医者からもう命は長くないと言われたこと、
一縷の望みを抱いてこの寺へやってきたこと・・・。
禅師はきっと、何か励ます言葉を掛けてくれるに違いない。
そう期待しながら語りました。
私の話を聞き終えて、しばしの沈黙の後、禅師は言いました。
「そうか、もう命は長くないのか」
「はい・・・」
その後、禅師は腹に響く声で力強く、こう言ったのです。
「だがな、一つだけ言っておく。 人間、死ぬまで命はあるんだよ!過去はない。未来もない。 有るのは永遠に続くいまだけだ。いまを生きよ! 今を生き切れ!」
多摩大学大学院名誉教授、田坂塾塾長昭和26年生まれ。56年東京大学大学院修了。工学博士。
12年多摩大学大学院教授に就任。23年内閣官房参与に就任。25年全国から7,000名の経営者が集う田坂塾を開塾。
著書90冊余。近著に『すべては導かれている』(小学館)『運気を磨く』『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得』
『人間を磨く』(いずれも光文社新書)など。