ひざの上に小さな虫が飛んで来てジッと動きません。
越冬のために暖かい部屋の中に既に迷い込んでいたのでしょうか。
検索してみると「キマダラカメムシ」でした。

仏教の教えの中に、すべての生き物を無意識に殺してはいけないという「不殺生戒」という教えがあることを知り、ふと20年前のある体験が蘇ってきました。

それはアメリカで宣教活動中の出来事です。
アイオワ州のデモインにある大きなキリスト教会を訪ねた際、その教会の牧師さんと話をしていると、一匹の虫が私たちの目の前をうるさく飛び回り始めました。
蠅ではなく、もう少し大きなカナブンかコガネムシのような虫でした。
突然、会話を止め、牧師さんはその虫を素早く手でキャッチしました。
そのまま床に叩きつけ、さらに逃げる虫を追いかけて靴でバンバンと踏みつけました。
そして最後には、まるでタバコの火を靴で揉み消すかのように、虫を完全に潰してしまったのです。

その光景を見て私は大変驚きました。
いつも笑顔で穏やか、温厚そのものの牧師さんのイメージからは想像しがたい姿だったからです。ピカピカに磨かれた大きな黒い革靴、私の記憶に今も鮮明に残っています。
しかし、振り返ってみると、あの時の私の驚きは、私自身が「命」について無自覚だった証拠でもありました。
「命」と向き合う習慣
幼い頃の私は、捕まえた昆虫が翌日、死んでしまって大泣きした時代がありました。

しかし・・・、今の私はどうでしょう。
日常の中で、「命」と向き合うことに対してあまりにも無神経です。
冷蔵庫の中で腐らせてしまった肉や魚、黄色く変色してしまった野菜たち。
日々の暮らしの中で、多くの命を無駄にしてしまうことがあります。
しかし、その事実をほとんど意識していません。
また、蚊やゴキブリ、蟻といった虫たちには、殺虫剤を使って駆除することが当たり前になっています。これらの小さな命を排除することにも、ほとんど罪悪感を抱かずに過ごしています。
私たちが生きるためには、数えきれないほど多くの命が犠牲になっています。
魚や牛、豚といった動物だけではなく、野菜や果物もまた、生きる存在です。
それらのすべてが私たちの命を支えるためにあるのだと考えたとき、私たちはどれほどの感謝を抱くべきでしょうか。
仏教には「生かされている」という考え方があると言います。
自分が生きているのではなく、あらゆる命によって生かされている。
そのことに気づけば、食べ物を粗末にすることのないよう努め、無駄な殺生を避ける努力をすることができるかもしれません。
「感謝」を込めた食事の挨拶
日本の食事の挨拶には、「いただきます」「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
これは単なる習慣ではなく、命への敬意と感謝が込められた大切な行為です。

食材となった命への感謝、料理を作った人への感謝を表し、手を合わせて祈る姿勢は、命をいただくという行為に対する謙虚さと感謝の象徴なのです。
当たり前にしている習慣だからこそ、その意味を忘れがちです。
一つひとつの命に心を向け、無駄な命を増やさないよう大切に扱うこと。
それは、私たち自身の生き方をも豊かにしてくれるのではないでしょうか。

*仏教の「不殺生戒」とは、すべての生命を尊重し、無意味に生命を奪わないという仏教徒が守るべき基本。
