「はい、どうぞ!」
そう言って、2歳の孫が嬉しそうに私に何かを差し出してきました。
受け取ろうと手を伸ばした瞬間、私は思わず飛び上がりました。
なんと、それは台所に置いてあった包丁だったのです。
つい先日も、散歩の途中でのこと。
孫は道端に落ちていた犬の糞を拾い上げ、嬉しそうに「はい、どうぞ!」と私に手渡そうとしました。
毎日、孫と過ごす時間は、感動と驚き、そして大発見の連続です。
小さな子どもが「はい!どうぞ!」と、何かを差し出してくるしぐさは、本当にほほえましいものです。
私はそんなとき、少し大げさに「はい!ありがとう!」と笑顔で受け取るようにしていました。
そのうちに孫は、私たち大人を喜ばせることが嬉しくなったのでしょう。
ますます “はい、どうぞゲーム” に夢中になり、いろんなものを持ってきてくれるようになりました。
それがたとえ、大人にとっては困るものだったとしても……。
もちろん、思わず「駄目駄目!!」と叫びたくなることもあります。
でも、孫の行動の奥には、「人を喜ばせたい」という純粋な心があることを、私は知っています。
包丁の危険さも、犬の糞が何かも、2歳の孫にはまだ分かりません。
でも、彼は小さな目でしっかりと見て、感じ取っています。
まな板の上でトントンとリズムよく踊る包丁の姿と音。
散歩道で、飼い主が犬の糞を拾って持ち帰る姿。
その小さな目と心で、世界を一生懸命に吸収しているのです。
生まれたばかりの赤ちゃんでさえ、そこに「居る」だけで周りに喜びを与えます。
まだ何もできない小さな命であっても、すでにその存在は誰かの幸せのために輝いているのです。
たとえ2歳の幼い子どもでも、しっかりと「誰かを喜ばせたい」という心を持っています。
きっと、人間とは本来、そういう存在なのではないでしょう。
相手の喜びのために生きる。
それは、人間に生まれ持った、本能のようなものなのかもしれませんね。

――相手の喜びと幸せのために生まれてきた――
そんなふうに思うと、人間って本当に素晴らしいと思わずにはいられません。
孫と過ごす日々が、私にそんな大切なことを、毎日、教えてくれているのです。
(「子供の日」に寄せて再投稿しました)

