先日、韓国人の牧師と、ある家庭を訪問しました。
86歳と92歳の仲睦まじいご夫婦の家です。
「マッチ箱のような家だから・・・」と言って、
昔から人の訪問を敬遠していました。
立派な住宅が並んだ閑静な住宅街の一角にある
実に小さな古い家なのです。
私はご夫婦とは長いお付き合いをしてきました。
92歳の奥様は4,5年前に認知症になり、
ご主人が、買い出しから家事の一切をしていました。
いわゆる老々介護です。
彼女の趣味は読書。
30年前から本を読み、ボケないようにと10年前からは、
大事な本はノートに書き写していました。
そのノートが今では何十冊にもなるそうです。
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古いセピア色の写真のような小さな二階家。
こんな家に人が住んでいるのかと感じる家なのです。
既に玄関先でご主人が私たちを待っていました。
ガタついた玄関ドアを入って、
タイル張りの流しのあるキッチンの前を通ると
向こうには3畳ほどの小さな部屋がありました。
4人で座ったら部屋はいっぱいです。
壁には、天井まで、家族やお孫さんの
若い頃の写真や賞状などが飾ってありました。
「こんな狭苦しいところに来てくださって、ありがとうございます」
「歩けなくなってしまって、何の接待もできません」
と奥様が言いました。
昔、ご夫婦で頑張ったいろんなお話を
ご夫婦は懐かしそうに話してくれました。
しだいに明るい表情に変わっていきます。
玄関先で失礼するお約束が、1時間を経過していました。
「何かお祈りしてもらいたいお願い事はありますか?」と聞くと・・・
「な~んにもね~よ。健康だけだね」とご主人が笑いました。
帰り際、ご夫婦は、玄関先で何度も何度も
「ありがとうございました」と言いました。
帰りの道すがら、
私はこの老夫婦の次のようなお話を牧師にしました。
お孫さんが来て家に泊まった日、
大雨が降ったそうです。
雨が降ると雨漏りするんです。
いろんな器で雨漏りのしずくを受けるので
「トントン…、カンカン…、コンコン…」
いろんな音があちらこちらから聞こえて、
お孫さんが大喜びしたそうです。
<トントン…、カンカン…、コンコン…>
台風が来た時は・・・
玄関ドアが飛んで行ってしまい、
ご主人が外れたドアを拾って、自分で取り付けたそうです。
50年もここに住んで、
周りはすべて立派な家に変わりました。
息子さんから家を建て替えるようにと言われても、
建て替えもリフォームもしなかったそうです。
その代わり、二人の息子とお孫さんたちを大学まで出して
立派に育てました。
息子さんは立派に家庭を築いています。
ずっと夫婦は息子や孫たちの幸せを祈って来たのです。
どんなに貧しい生活でも、いつも感謝していました。
お孫さんが泊まりに来たときは、
必ず親と喧嘩した時だったそうです。
そんな時、美味しいものをたくさん食べさせて、
黙って孫の話を聞いてあげたそうです。
そして、たとえお嫁さんが間違っていても、
「あなたのお母さんは間違っていないよ、お母さんに謝りなさいね」
と、言って帰してあげたそうです。
こんな話をしながら牧師と歩いていると、
牧師はずっと黙って聞いていましたが・・・
見ると・・・
牧師は泣いていました。
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人は何を残して死すべきか?
私たちは愛を呼吸しながら、一日の生活において何を残しているのでしょう。
何を残すべきなのでしょう。
次のような言葉を思い出しました。
🌸「一生の終わりに残るものは集めたものではなく、
与えたものとなります。~ジェラール・シャンドリー~
🌸人は一生の間にどれだけの愛を集めたかによってではなく、
どれほど、どのような愛を与えたかによって裁かれます」
~渡辺和子~
🌸「手に入れた物や業績より、 どれだけ人を愛したか、どれだけ人の為に生きたかが重要です」
~文 鮮明~