「世界で最も多くの子どもを産んだ女性」をご存じでしょうか。
ギネス世界記録では、記録上最も多くの子どもを産んだ女性は、
18世紀、ロシアのフョードル・ヴァシリエフの妻とされ、その数は69人。
16組の双子、7組の三つ子、4組の四つ子を、27回の出産で産んだと記録されています。
では、20世紀、世界を駆け巡りながら14人の子どもを産み育てた女性をご存じですか。
7人の息子と7人の娘を産んだ、世界平和統一家庭連合の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁です。
韓総裁の人生は、夫の文鮮明師と共に世界各地を巡り、
宗教、人種、国境を越えた平和を訴え続けて来られた愛と犠牲の道でした。
人々は彼女を「平和の母」「人類の母」「ホーリーマザー・ハン」と呼びます。
家庭連合の信徒は、親しみと敬愛を込め「真のお母様」と呼んでいます。
なぜ、一人の韓国人女性がそのように呼ばれるようになったのでしょうか。
戦争と避難の中で育った少女
韓鶴子総裁は1943年、現在の北朝鮮で生まれました。
幼い頃、朝鮮半島の混乱の中、母、祖母の三人で故郷を離れ南に下り、
朝鮮戦争という民族分断の悲劇を経験します。
国が分断され、人々が憎み合い、家族が引き裂かれていく時代を生きた少女でした。
1960年に文鮮明師と17歳で結婚。
そこから、文鮮明師の妻として、母として、宗教指導者としての長い人生が始まります。
命を懸けて産み、胸に抱き続けた子どもたち
韓総裁は21年間で14人(7人の息子と7人の娘)を出産しました。
出産は過酷な環境で成され、流産も経験し、帝王切開は4回に及びました。
帝王切開を重ねることは、母体への大きな負担があり、
3回目の帝王切開では医師が躊躇しました。
それでも韓総裁は、新しい命を迎えるために臨んだのです。
なぜなら、韓総裁にとって、多くの子どもを産むことには、
人知れず信仰上の特別な理由があったからです。
彼女は自叙伝で次のように語っています。
私は聖婚後、13人以上の子女を産もうと決心しました。最終的には14人生みました。
「12」という数字には、東西南北の四方を完成するという意味があります。
そこに「1」を加えた「13」数は、中心の位置に当たります。
それによって、摂理の完成を目指し、未来に向けて永遠に発展していける道が開かれるのです。(自叙伝123頁)
13人以上の子どもを産むことを自らの使命と受け止め、その覚悟をしていました。
彼女にとって出産は、神の願いと人類の救いを懸けての戦いだったのです。
「この子を守るためなら、自分の命さえ――」
母体の危険を覚悟しながら、わが子の命を守ろうとする母の決意がありました。
母親にとって、自分のお腹の中にいる子どもは、
自分の命と切り離すことのできない存在です。
自分が苦しくても、子どもだけは無事に生まれてほしい。
自分の身に何が起ころうとも、この命だけは守りたい。
それは宗教や国籍を越えても、母親なら理解できるでしょう。
ところが、韓総裁の試練は、出産だけではありませんでした。

子を失った親は子を胸に埋める―世界の母として
14人のうち、韓総裁は4人の我が子を自分より先に見送るという、
耐え難い悲しみも経験したのです。
生後8日の娘、17歳と21歳の息子、46歳の息子の4人です。
韓国には、
「子を失った親は、その子を胸に埋める」という言葉があります。
親が亡くなれば墓に埋めますが、
わが子を失った親は、その子を墓には置いて帰れないのです。
一生、自分の胸の中に埋めて生きていく――。
そのような、親より先に逝った子を思う深い悲しみを表しています。
4人の我が子を胸に抱いたまま生きてきた真の母。
どれほど辛かったかったでしょうか。
しかし韓総裁は、自分の家族だけを見つめて生きる立場ではありませんでした。
「人類の母」「平和の母」として、
世界の人々を抱いて励まし、希望を届けなければならなかったのです。
一人の母親として悲しみも胸の奥深くに抱えながら、
常に笑顔で人々に勇気と希望を与え、励まし続けてこられました。
世界の貧しい子供達や孤児に、彼女は背を向けることができませんでした。
ご自分の痛みより、人の痛みを先に考えたのです。
全人類を懐に抱き、眠ることも休むことさえできなかったのです。
世界に希望を与え、平和を成そうと生涯を捧げてこられました。
そこに、「平和の母」と呼ばれる韓鶴子総裁の姿があります。
どんなに辛くても立ち上がる母。
自分の身の危険を冒しても、子どもを守ろうとする母。
韓総裁の人生を振り返ると、浮かんでくるのは、
幾多の困難と犠牲を背負いながら、人々を愛し続けた「平和の母」の姿です。
苦難が私をつくった
夫の文鮮明師は自叙伝『平和を愛する世界人として』の中で、
妻について次のように振り返っています。
21年間に14人の子どもを産み育て、
言葉では言い表せない苦労があったはずなのに、その素振りさえ見せませんでした。
出産を控えた妻を残して海外へ行かなければならないことも一度や二度ではありません。
それでも妻は、一度も「つらい」と不平を言わなかった。(文鮮明師の自叙伝222~223頁)
どんなに苦しくても使命のために忍耐し、感謝で超えてきた女性の強さがありました。
彼女自身の自叙伝にも次のように記されています。
私は地獄のどん底まで経験し、ありとあらゆる苦労を味わいました。
神様はひたすら、私を鍛錬してくださいました。
私に必要なものは、疲れを知らない信仰と、堅固な意思、そして忍耐でした。
それらが今日の私を作り上げたのです。
忍耐という苦い種が一つ一つ実を結び、いつの日か、光り輝く誇りとなるのです。(自叙伝130頁)

母の愛を、世界平和へ
韓総裁の人生が特徴的なのは、14人の子どもを育てたことだけではありません。
1992年には文鮮明師と共に「世界平和女性連合」を創設。
女性が平和構築に果たす役割と使命を世界に訴えました。
1993年にはアメリカ44都市をはじめ、日本、韓国など世界各国を巡って講演。
国連本部、米国議会周辺をはじめ、世界各地で平和と家庭の価値を語りました。
さらに2005年には文師と共にUPF(天宙平和連合)を創設。
UPFは現在、国連経済社会理事会の総合協議資格を持つNGOとして、
宗教間対話や平和活動などに取り組んでいます。
文鮮明師が2012年に亡くなった後も、韓総裁は歩みを止めませんでした。
「神の下の人類は一つの家族である」という理想を一貫して掲げ続けています。
砂嵐の吹き荒れる砂漠の真ん中に立ち、一人で小さな針を探すような心情でした。
しかし私は、平和な世界を作るまでは、決して背を向けないと決意しました。(自叙伝291頁)

「平和の母」と呼ばれる理由
韓総裁を「平和の母」「人類の母」と呼ぶのは、単なる尊称ではありません。
人種・国籍・宗教の異なる人々を「一つの家族」として見つめます。
アフリカやアジアなどで貧困・医療・教育・食料などの人道支援を行ってきました。
UPF(天宙平和連合)では各国の政治家や宗教指導者による平和対話を推進し活動しています。
さらに女性運動、学術・経済、スポーツ、芸術・文化など、
多方面から人と人を結ぶ活動を続けています。
韓総裁が願った平和とは、単に「戦争がない世界」ではありません。
貧しい人を助け、病む人を支え、宗教や民族の壁を越え、
すべての人が兄弟姉妹として生きる世界――「人類は一つの家族」という理想です。
そして今、自由を奪われた母
ところが昨年9月、信じがたい出来事が起こりました。
韓総裁が韓国で拘束されたのです。
その約2週間前には、別のキリスト教会の牧師も選挙法違反などの容疑で拘束され、
「宗教弾圧ではないか」と批判する声が韓国国内外から上がりました。
拘置所へ向かう韓総裁の姿を追いながら、世界中の多くの人が涙しました。
そこには、宗教指導者として責任を負おうとする姿だけではなく、
「子どもが過ちを犯したなら、母である私にも責任がある」――
そのような母の心で、自ら苦難を引き受けようとする姿が重なって見えました。
83歳の高齢で、健康への懸念も伝えられる中、司法手続きが今も続いています。
韓総裁は終始、起訴された容疑を完全否定しています。
第一審判決がソウル地方裁判所で言い渡されると伝えられる8月31日を目前にして、
きょうで、既に拘留336日を超えました。
だから、涙が溢れ胸が張り裂けそうになるのです。
最後まで語った「人類平和一家族」の夢
韓総裁は最終陳述の場でも、最後まで希望を失うことなく、
自らの信念と平和への願いを語りました。
そこに一貫していたのは、自らの無実を訴えることだけではありません。
戦争と対立のない世界をつくりたい。
国や民族、宗教を越えて、人類が一つの家族として生きる世界を実現したい――。
それは韓総裁が長い人生を通して訴え続けてきた願いでもありました。
83歳となった今も、
「私は命の尽きるその日まで、この目標のために、どこにいようとも歩み続けてまいります」
と語りました。
14人の子どもを産んだ一人の母から、世界の人々をわが子のように抱こうとした「平和の母」へ。
その人生を貫いてきた思いが、この言葉にも凝縮されているように私は感じます。
以下に、2026年7月10日、ソウル中央地方裁判所で語られた
韓鶴子総裁の最終陳述を掲載いたします。
韓鶴子総裁の最終陳述
2026年7月10日 ソウル中央地方裁判所
※家庭連合関係者を通じて公表された日本語訳をもとに掲載
私は生涯を通して天をお迎えし、
人類平和一家族の実現のために人生のすべてを捧げてまいりました。
私は、お金によって権力を求める者ではありません。
今回、家庭連合の指導者として、多くの面において、
意図せず皆様にご心配と混乱を招いてしまったことを、心より深くお詫び申し上げます。
私は生涯、真の家庭運動を通して平和世界を実現するためには、
まず天をお迎えしなければならないことを強調しながら、世界中を巡り歩んでまいりました。
しかし、私が信頼し、すべてを任せていた人物が、
このような結果を招いてしまったことに対して、胸が張り裂けるほど心を痛めています。
今なお世界では、戦争と対立によって血なまぐさい争いが続いています。
そのような中で、私は訴え続けています。
「天をお迎えしましょう」と。
天をお迎えするすべての国々が兄弟の国となり、地上に天の父母様をお迎えし、
天の父母様の夢である地上天国を実現することのできるこの時代に、
私たちは一つになろうと、私は訴え続けてまいりました。
私は信じています。 天は生きておられます。
そして天は必ず地上にその夢を実現されるでしょう。
その使命を担うことのできる統一家の二世・三世たちは、
天の父母様をお迎えした真の子女として、世界へ向かって歩みを進めています。
今回、2025年4月を中心として、
私は創造主・天の父母様の夢を地上に実現して差し上げるための環境を整えることができました。
これは本当にありがたく、感謝すべきことです。
今や私たちの存在は世に知られるようになりました。
これからは発展していくことだけが待っていると信じています。
ですから、私たちが待ち望んできた、
天の父母様をお迎えした「人類平和一家族」の平和世界は、必ず実現すると確信しています。
私は命の尽きるその日まで、この目標のために、どこにいようとも歩み続けてまいります。
どうか、天の父母様の祝福を受けたこの国が、
第二のイスラエルともいうべき選民の国としての責任を果たす国となり、
そのような国民となることを、私は祈り続けます。
重ねて申し上げますが、今日のようなこのような不祥事は、本来あってはならないことです。 これから私たちは、未来の子孫のために、戦争も対立もない、
天をお迎えした美しい地上天国が広がる国、この民族、
この国家となることができるよう祈り、祝福してまいります。
ありがとうございました。
母の帰りを待ちながら
韓鶴子という一人の女性を、歴史が最終的にどのように評価するのか。
それは後世に委ねられるでしょう。
けれど私は、いつの日か真実は明らかになると信じています。
14人の子を産み、世界の人々をわが子のように見つめ、幾多の試練を越えながら、
平和を訴え続けてきた一人の女性。
その長い歩みを知る世界の人々の中には、韓総裁を偉大な宗教指導者、
そして「平和の母」「人類の母」として敬愛する人々がいます。
2026年には、その長年の平和活動を理由に、元EU宗教・信仰の自由特使ヤーン・フィゲル氏が、
韓総裁をノーベル平和賞候補として推薦したことも公表されています。
今も世界中に、韓総裁を「私たちのお母様」と慕い、何よりその健康を案じ、
無罪と一日も早い釈放を願いながら、帰りを待ち祈っている人々がいます。
私も、その一人です。
真のお母様。
再び笑顔で私たちのもとへ帰ってこられるその日を、心から待っています。
사랑합니다. 감사합니다.
愛しています。 ありがとうございます。


