高麗神社(こまじんじゃ:埼玉県日高市)を訪ねて、
韓半島の南北統一と日韓の平和・世界平和を祈願してきました。
2006年から4回目の参拝となりました。
〈JR高麗川駅の観光案内板~渡来人の高麗郷~〉
高麗(こま)神社は、奈良時代に
高句麗から渡来した渡来人の高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を
祀っている神社です。
668年に滅亡した高句麗から多くの
高麗人(高句麗人)が日本に亡命し、
大和朝廷が当時の武蔵国(今の日高市や飯能市など)に
高麗人が居住する地として高麗郡を置きました。
その初の郡長となったのが若光です。
彼は渡来人の鉄器技術で未開の原野を
苦労して開拓し武蔵国を建てました。
高麗郡の始まりについて、
続日本紀には、
716年5月、甲斐(山梨)、駿河(静岡)、相模(神奈川)、
上総・下総(千葉)、常陸(茨木)、下野(栃木)の
7ヶ国から高句麗人1799人を武蔵国に移し「高麗郡」を創建したと記されています。
若光の没後、その遺徳を偲び、御霊を高麗郡の守護神として高麗神社に祀りました。
今年2021年は高麗郡ができて1305年。
現在、若光の子孫が宮司さんを務めていらっしゃいました。60代目だそうです。
〈高麗神社 二の鳥居にある茅の輪〉
先ずは、高麗神社の入り口、
二の鳥居にある大茅の輪(できたばかりの茅の青々とした輪)をくぐりました。
茅の輪くぐり(ちのわくぐり)とは、
直径数メートルの茅の輪をくぐることで、
半年間の心身を清めて、
災厄(さいやく)を祓い無病息災を祈願です。
高麗神社では6月15日から7月15日までに茅の輪くぐり、
6月27日には夏越の大祓式(おおはらえしき)が行われるそうです。
〈あれ~なぜか高麗神社の看板が「高句麗神社」となっています〉
高麗神社は、逆境に立ち向かい道を切り開いた若光の精神を慕い、
出世開運、事業繁栄の神様として崇敬され、
また、若光の末裔が60代続くことから子孫繁栄、
健康長寿の御利益があるそうです。
続いて、若光の菩提寺である高麗山 聖天院(しょうでんいん)を見学しました。
入り口の雷門をくぐると、右手に若光の墓(高麗王廊)がありました。
<高麗王廊:若光の墓>
〈聖天院〉
聖天院は若光の菩提寺として751年に建立されたお寺で
江戸時代には高麗郡の本寺として隆盛を誇ったそうです。
何度か再建され、平成12年(2000年)に現在の姿になったそうです。
〈庭園も素晴らしい~~!〉
さらに、聖天院の西方山腹には、
在日韓民族無縁仏の慰霊塔がありました。 在日韓国人の篤信者たちによって、
平成12年(2000)1月にこの塔が建立されました。
境内奥にそびえ立つ慰霊塔は高さ16メートル、
塔の下部は納骨堂になっており、
日本の朝鮮支配36年間を象徴して、三十六段階にしたそうです。
石塔としては日本最大級だそうです。
在日韓民族慰霊塔と慰霊碑は民族統一を願い、
日本国内に於ける民団や朝総連の垣根を超え、
関東大震災、第二次大戦で犠牲となった、
同胞の御霊と渡来人の御霊を供養する願いが込められているそうです。
広場の周囲には、
広開土王、太宗武烈王、鄭夢周、王仁博士、申師任堂など義人の石像が配し、
無縁仏が白衣民族であったことを忘れないための配慮だそうです。
〈申師任堂像:良妻賢母、韓国の5万ウォン紙幣、韓国ドラマ「サイムダン」〉
〈檀君像:韓民族の始祖〉
さらに山を登って檀君像を拝してきました。
檀君は紀元前2333年に朝鮮を建国した、韓民族の始祖です。
慰霊塔の左手前に韓国の建材を使用して施工された美しい「八角亭」が建っています。
この建物は、韓国バコダ公園の八角亭を象徴し、縮小して施工された建物です。
〈八角亭から慰霊塔を望む〉
1919年3月1日、
ソウルのパゴダ公園(塔洞公園)でデモの集会が行われ、
一人の青年が公園の中心にある八角亭から群集に向かって独立宣言書を読み上げ、
これをきっかけに、日本の植民地支配からの独立を求める3.1独立運動が朝鮮半島全土に広がったそうです。
韓国人にとっては、バコダ公園の八角亭は記念すべき建物です。
梅雨の時々晴れ間を望む、緑美しい高麗の郷にて、
韓半島統一と日韓平和、世界平和を祈ってきました。
参考資料:河正雄著『韓国と日本・二つの祖国を生きる』
高麗神社、聖天院の拝観案内パンフレット