歴史を振り返れば、真理を掲げる宗教はいつの時代も迫害と共にありました。
日本においては、江戸時代のキリスト教や、神仏分離令の影響を受けた神道と修験道。
大本教も国家的迫害を受けました。
キリシタン迫害で殉教した「二十六聖人」の中には、二人の幼い子どもがいました。
多くの殉教者たちは、誰をも怨むことなく感謝の心で殉教されたと言います。
なぜなら、迫害する人を怨み泣き叫べば、イエス様や神様がもっと苦しまれることを知っていたからです。
世界に目を向ければ、今でもウイグルのムスリムは中国で監視のもとに信仰を縛られ、ロシアではエホバの証人が国家によって「過激派」とされています。イランではバハイ教徒が自由を奪われ、アフガニスタンではハザーラ族の信徒や、モザンビークではキリスト者が武装勢力に虐殺されています。
宗教迫害は過去の出来事ではなく、今でも続く悲しい現実です。
その流れの中で、九月、韓国では保守的な7つの宗教団体の指導者が、国家(李在明左翼政権)の政敵とされ、「粛清」と称して逮捕され拘束されました。
家庭連合の韓鶴子総裁もまた、9月22日にソウル拘置所に拘束されたのです。
世界平和と人類救済の血と汗と涙の苦難の道を生涯に渡り夫と共に歩み、7男7女の子女を産み育て、世界をかき抱いた『平和の母・人類の母』と呼ばれ、世界150カ国以上から支持を受けている韓鶴子総裁の拘束は、世界から「宗教弾圧」であると、批判の声が上がっています。
9月17日、自ら十字架の道に進み出た韓総裁は次のような言葉を残して出頭しました。
「私の心配はしないでください。皆さんと皆さんの家庭、そして天のみ旨が成就されるように祈祷し、精誠尽くしてくださるように願います。皆様 愛しています。」
更に、4畳の狭く窓のない冷たい独房の中から、10月6日には面会人に次のように語りました。
「あまり悲しむな、神は生きておられる。しかし、時間はかかるが真実は必ず明らかになる。ソウル拘置所でも、神の摂理は更に発展していく。」と・・・
このような韓総裁の姿は、イエス様の十字架の道と重なります。
イエス様は冤罪の中で十字架を担い、裏切った弟子たちや、ののしった群衆さえも、許して愛し抜いて自らの命を犠牲にしました。
天は最愛の一人息子イエスの犠牲を許され、涙ながらに見守りながら、やがて人類全体を救う大いなる摂理を進められたのです。
しかし、一人娘の韓総裁は、必ず生きて真実を明らかにし、全人類の救いの道を開き、必ず勝利の道を行かれるでしょう。
日本と韓国の家庭連合は、マスメディアの偏向報道や国家権力の介入によって信仰の自由を脅かされています。今こそ、信仰者としての忍耐と真理の証が問われています。
迫害と試練は、裁きではなく、人類全体を悔い改めと成長へ導くために天が許されるものであり、天は、最愛の子を叱る親のように、真の信仰へと鍛えてくださっているのです。
親である天は越えられない試練を子に与えるはずはありません。
今回の韓総裁の犠牲の背後には、教団の不足と罪を償おうとするためだけではなく、人類の罪をも許し愛そうとする「平和の母・人類の母」としての真の愛が流れています。
その尊い愛を感じる故に、私たちは誰かを批判し、痛みを告白して泣き叫ぶのではなく、どのような試練にも感謝し、強く雄々しく生きなければなりません。
「牢獄の救世主」と呼ばれた文鮮明師は「迫害は摂理の証明である」と、韓鶴子総裁は「真理は必ず勝利する。許して愛して一つになりなさい」と、ずっと宣言されてこられました。
信仰は奪われるものではなく、内に灯された光です。
だからこそ、迫害や試練にも恐れず、怨まず、感謝の心で歩みましょう。
私たちが流す涙は、絶望の涙ではなく、悔い改めの涙です。
その涙が天の心を慰め、やがて世界を平和へ導く力になるのです。
いまこそ心を一つにし、希望と確信を胸に刻みましょう。
試練は新しい時代の扉を開く瞬間でもあります。
私たちは孤独ではありません。歴史の殉教者たち、世界の信仰者、そして天が共におられます。
日々の祈りと証しを通して、家庭と社会に光を広げましょう。
一人ひとりが「小さな灯火」となり、その炎がつながるとき、天の側の勝利は必ず訪れます。
最後まで感謝で耐え忍ぶ者こそ、真の勝利者です。
恐れず、怨まず、感謝し――愛と許しの証人(あかしびと)となりましょう。

