田んぼの中で立ったり屈んだり、
伸びた稲の間を這うように動き回る農作業を、
遠くから見て「いったい何をしているの?」と尋ねた人がいたそうです。
それは「田植え」や「田の草取り」。
昔は家族総出で手作業だった季節の風物詩です。
私も子どもの頃、田植えの時期には一家総出で手伝ったものです。
まさに「猫の手も借りたい」忙しさでした。
そんな思い出に、もうひとつは畑の思い出。
幼い頃、祖父母が麦畑の中で蟹のように横歩きをしていた姿が、今でも忘れられません。
白い手ぬぐいを頭にかぶり、両手を後ろに組んで、麦の芽を踏みつけていく――。
大人になってから、それが「麦踏み」という農作業だと知りました。

今ではすっかり機械化が進み、そんな光景もほとんど見かけなくなりました。
けれど、「麦踏み」にはちゃんと意味があるのです。
霜で浮き上がった麦の根を踏むことで、根がしっかり張り、茎が太く強く育つ。
だから、“踏まれた麦ほど豊かに実る”そうです。
同じように、
「稲妻」に打たれて育った稲は豊かな実をつけるそうです。
”雷が多い年ほど稲は豊作になる”とも言われます。
実際に、雷によって空気中の窒素が肥料となることが科学的にも証明されています。
自然は、厳しさの中にも恵みを隠しているのですね。

そう考えると、人間も同じではないかと・・・。
私自身、これまでの人生でたくさんの試練を受けました。
人に踏まれ、蹴られ、誤解され、時には雷に打たれるごとく、
心ない言葉を浴びせられたこともありました。
そのたびに苦しくて、悲しくて、
「なぜ私だけが…」と、星空を仰いだ夜もありました。
けれど今振り返ると、
そのような出来事のすべてが、
私を強くするための“麦踏み”
すなわち”愛の鞭”だったのだと思えるのです。
「許して、愛して、一つになりなさい」
「すべてに感謝しなさい」
「不撓不屈(ふとうふくつ)の心で歩みなさい」
そんな声が、いつも私の耳元でささやきます。
まるで天だけが私の心を理解し、そっと背中を押してくれているようです。
踏まれても、打たれても、
それは私の人生を豊かに実らせるための“愛の鞭”。
涙の下には、必ず強く美しい根が育つのですから。
痛みは、私を弱くするためではなく、根を深くするためにあるのだと。
だから、もう恐れず、諦めることなく。
今日も勇気と希望を抱いて、胸を張って歩んでいきたいと思うのです。
― 踏まれた麦や稲妻に打たれた稲は、やがて黄金色に豊かな実をつける。
その姿こそ、人の生き方の原風景なのかもしれませんね。
<農民版画家・飯野農夫也「麦刈り群像」(1986年)より>


