修行になるのではなく、修行にするポジティブな生き方~「歩歩是道場」~

すべてに感謝して

禅語に歩歩是道場(ほほこれどうじょう)という言葉があります。
私達がいま自分が置かれている立場、状況のすべては、自分を磨く道場であり修行の場である、自分を高める修行の場にする生き方をしよう

という深い意味があります。

しかし・・・

この言葉を文字通りに「人生はすべてが修行」と受け取めると、人生は辛く厳しいことのように感じてしまいがちです。ところが、「修行にして生きていこう」と前向きな心にすると、人生はなぜか楽しいものに見えてきます

修行に「なる」と、修行に「する」とでは、たった一文字の違いが、まるで大きな違いになります。

大切なのは、「生活の中で自然に修行になる」のを待つのではなく、「生活そのものを、修行にしていく」という前向きな姿勢は、人生の質がまるで違っていきます。


■ 受け身ではなく、能動的な生き方

私たちはつい、「よい環境」「良い人」「気持ちよい出来事」に出会ったときは「これはありがたい」と素直に感じます。

けれど「歩歩是道場」として、どんな出来事も、どんな人との関わりも、自分を磨く機会として受けとめると「これもありがたい」と思えてくるものです。

つまり、どんな環境も、どんな瞬間も「修行になる」のではなく「修行にする」というポジティブな生き方が大事だというのです。


■ たとえば、こんな場面で

◉ 思い通りにいかない日
「今日はついてない」と嘆くのではなく、
「この困難を、自分の対応力や忍耐力を培う場にしよう」と受け止めてみる。

◉ いらだちを感じた人とのやりとり
「合わない人」などと嫌ったり、切り捨てるのではなく、
「この人を、自分の我を映す鏡か、磨き石にしよう」と向き合ってみる。

◉ 平凡で単調な繰り返しの毎日
「退屈」と流すのではなく、「同じことを丁寧に繰り返す感謝の日にしよう」と考えてみる。


■ 修行に「する」人生は、豊かに美しくなる

「過ぎ去っていく日常の一瞬一瞬」を、「意味ある瞬間」だと、とらえていくことが、
「歩歩是道場」の真意なのではないでしょうか。

「これも何かを学ぶチャンスにしよう」と思えたとき、人生の景色が変わって見えてきます。

どんな出来事にも環境や人のせいにするのではなく、「それを自分の修行にする」と決め、「おかげさま」と「ありがとう」感謝の気持ちを持って過ごすこと。

そうすれば、たとえどんな苦境にあっても、どんな孤独の中にいても、
豊かに美しく、しなやかに、前向きに生きる力を持てるようになるのではないでしょうか。

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