粗末なおにぎりの謎 ~人は、愛を食べ愛を呼吸して生きている~

文鮮明、韓鶴子御夫妻

ある日、立派なご馳走がずらりと並ぶ席に、年老いたお婆さんが新聞紙に包んだ”おにぎり”を持ってきました。
テーブルの隅に、新聞紙に包まれた粗末に見える小さなそれは、誰からも見向きもされず、ひっそりと置かれていました。

誰もが豪華な料理に手を伸ばす中、ただ一人、文鮮明先生だけが、この粗末に見える”おにぎり”を手に取り、嬉しそうに召し上がったのです。

不思議に思った人たちに、文先生はこう語ったといいます。

「この”おにぎり”には、精誠(せいせい)が込められているよ。この真心を無駄にしてはいけないね」

この”おにぎり”を作ったお婆さんは、先生に食べていただきたくて
稲の苗を植えるところから、1年もの時間をかけて、丁寧にお米を育てました。
愛情を込めて、肥料をやり、雑草を取り除き、手間を惜しまず育てたのです。
そして、丁寧に脱穀し、真心をこめておにぎりを握って、先生に届けたのです。


文先生は、おにぎりに込められた精誠とその見えない真心を、しっかりと見抜いていたのです。

精誠とは、目には見えない真心と愛。

「精誠」という言葉は、まじりけのない真心、純粋な誠意を指します。
また、真心こめて物事を尽くすさまを意味します。
“どれだけ心を尽くしたか” という、心から発せられた愛の形です。

目に見えない精誠や愛というものは、ほんとうは、いちばん尊いのです。

人は、愛を食べ愛を呼吸している

人は料理を食べながら料理に込められた“愛”を食べているのだと言います。

急いで、仕方なく嫌々作られた料理は、どんなに豪華でも、ただの「餌」だと言う人がいます。
一方、安い材料だったとしても、「美味しく食べてもらいたい」という願いと愛情を込めて作られた料理は、たとえどんなに粗末に見えても、”愛”という栄養素もたっぷり含んでいます。

真心を込めて作られた料理は、食べた人の身体には豊かな栄養を、心には豊かな愛を届けてくれます。

人は、愛を食べ、愛を呼吸して生きているのです。

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