共鳴する魂と母の愛~全盲の国学者:塙保己一~

諦めないで
「ねえねえ~ 三重苦のヘレンケラーを知ってる?」と、高校生の孫に聞いてみました。
「もちろん!知ってるよ~」
 
「じゃ~ね。ヘレンケラーが尊敬した日本人の学者を知ってる?」
「えっ?! ヘレンケラーが尊敬した日本人??」
 
「そう! ヘレンケラーが尊敬した日本人!」
「そんな人いたかな~~」
 
「江戸時代の全盲の学者だそうよ」
「あ~あ~ 知ってる! 塙保己一(はなわほきいち)と言う国学者でしょ!?」
 
「あら? 知ってるの! どんな人なの?」
「目が見えないから、耳で聞いた学問を丸暗記で覚えて、たくさんの文献を本に残したんだ。
点字もワープロも印刷機もない江戸時代にね・・・」
 
聴覚障害を持ち ”ろう学校に通う高校生” の孫は、知っていました。
彼もかなり暗記力のいい孫です。
 
ヘレンケラーが尊敬した、そんなすごい日本人を、
私は友人を通して最近知りました。
 
埼玉県の三大偉人(塙保己一・渋沢栄一・荻野吟子)の一人でした。
 
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~塙保己一(はなわほきいち)~
1746年~1821年。江戸時代後期に活躍した全盲の国学者
7歳のとき失明、12歳で母を失い、15歳で江戸に出て学問の道に進む。
記憶力に優れていたため、人が読んでくれた国学、漢学、法律などを丸暗記し
散逸する恐れのある貴重な文献を校正・編纂し、
大文献集670冊『群書類従(ぐんしょるいじゅう)を出版した。
 
「世のため、後のため」41年かけ大編纂した膨大な文献集は、
世界共通の文化遺産になっている。
渋沢栄一も彼を尊敬し「群書類従」の版木の保存に深く関わったそうです。
 
 
48歳のときには、現在の大学ともいえる「和学講談所」を創設し、多くの弟子を育て、
生涯、自分と同じように障害のある人たちの社会的地位向上のために全力を注いだ。
 
<群書類従(ぐんしょるいじゅう)と和本>
群書類従と和本
 
<塙保己一史料館保存されている「群書類従」の版木>
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保己一にはこんな感動的なエピソードがありました。
 
学問がしたいという夢を抱いて憧れの江戸に出てきた15歳の保己一。
16歳の時、厳しい現実にぶつかり自分の不甲斐なさを悲観して、
牛ヶ淵(現在の東京都千代田区皇居のお堀)に身を投げようとしました
 
その時、母からもらった、母が手作りした巾着に触れたのです。
 
その瞬間・・・
「どんなことがあっても 諦めてはいけないよ  生きるのですよ」
亡き母の声が聞こえてきたそうです。
 
 
この時の、亡き母の声は保己一に生きる決意与え、
保己一の 後の人生を大きく変えたです。
 
<自殺から救った母親の手造り巾着
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ところで・・・
保己一の母(キヨはどのような人であったのでしょう。
保己一は5歳の時、慢性の胃腸病で失明してしまう病に罹りました。
 
息子を心配した両親は近くの三日月不動に祈願し、
特に、母は毎日欠かさずお参りしたといいます
母は保己一の回復を願い、片道8キロを歩いて
対岸の町に住む医者に通い続けました。
 
当時の武蔵国と上州を隔てる神流川には、橋がありません
母は幼い息子を背負って川を渡ったのです。
それは雨の日も風の日も暑い夏も雪の冬も
発病から2年間続きました。
 
どんなに辛くても母は決して 諦めなかった
 
しかし・・・
母の必死の努力にも関わらず、保己一はとうとう失明してしまったのです。
まだ7歳の少年でした
 
必死に保己一の世話をし育てていたキヨ無理がたたり病に倒れてしまいます。
 
目の見えない保己一は懸命に看病します。
キヨは病床の中で、帯の生地で縫った手造りの巾着を息子に渡します
その巾着はやがて形見になってしまいます。
 
保己一の発病から7年後(保己一12歳)の時、キヨは天に召されたのです。
生活の全てを見てくれ、心の支えとなってくれた最愛の母の死
大きなショックだったはずです。
 
やがて・・・
母の苦労を無駄にしてはいけないと、15歳少年は単独で江戸に出たのです。
 
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もう一つ驚きのお話があります。
 
<ヘレンケラー>
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ヘレン・ケラーと言えば・・・
三重苦を背負いながら世界平和・社会福祉に尽力した奇跡の人
なんと、彼女が人生の目標にしていた人物が保己一だったそうです。
 
ヘレン・ケラーは初来日した(昭和12年)際の講演会で、
は母から「塙(はなわ)保己一先生をお手本にしなさい」と言われて育ちました。
辛く、苦しく、くじけそうになったときでも、先生を目標に頑張ったからこそ、今の私がいます』と語っています。
 
ヘレン・ケラー来館
 
保己一ヘレンも、苛酷な人生であったにもかかわらず、
一見、光と音を絶たれるという厳しい人生を送ったように思えますが、
将来への夢と生きる希望を決して捨てない不撓不屈の人でした。
 
そうなれた背後には、母や師匠、先生、弟子たちなどの大きな支えがあったからです。
 
保己一とヘレンは、心の目で見つめ、心の耳で聞き人一倍広い世界を夢見て、
「世のため、後のため」喜びと感謝に満ちた人生を送ったのです。
 
” 自分に与えられた目の前の事に 心を尽くしていくうちに
心が磨かれ やがて扉が開き 天命に気づいていく
なぜ私たちは生まれ 生きるのか

世のため後のために 今の私に何ができるのか ” ~YouTubeより~




 

 
参考:ドキュメンタリー映画 『 共鳴する魂 塙保己一伝 』
(写真と動画はすべてお借りしています)
 
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