2020五輪で13年ぶりに復活したソフトボール。
決勝の相手は13年前も金メダルを争ったアメリカだった。
7月27日、アメリカを2─0で下し金メダルを獲得した。
北京大会(2008年)に続く金メダル、2連覇を果たした。
オリンピックにソフトボールが戻ってくる日を夢見て、
13年間走り続けてきたエース・上野由岐子選手(39)が先発した。
宇津木監督が手を合わせて祈る中、最後の勝利の瞬間が決まった。
試合終了後、上野選手は宇津木麗華監督と抱き合って泣いた。
インタビューで上野選手は、
「13年っていう年月を経て、あきらめなければ夢がかなう」
「途中リリーフで投げてくれた後藤が
顔面蒼白(そうはく)で投げていたのをみて、
逆に『自分がやってやる』と奮い立たせてもらった」
5回にはソフトボール二刀流の藤田倭(やまと)選手(30)が
貴重な追加点を挙げた。
藤田倭選手は、佐賀女子高校ソフトボール部監督、
恩師の久保田昭さんとの誓いを果たした。
久保田昭さんの口癖は、
「テングになったらいかん」だった。
グランドの草やごみを放っておくと
「そんなことで良い選手になれるか」と叱った。
「どんな優秀な選手でも一人で試合はできない、
人と人のつながりに感謝しなさい」
そんな指導者だった。
17年4月、久保田さんが72歳で亡くなると、
教え子代表の弔辞で藤田選手は誓った。
「五輪に出場し、誰よりも輝きます」
表彰式では、選手同士が金メダルを掛け合った。
その時の感想を藤田選手は、
「自分が上野さんに掛けて、上野さんから掛けてもらいました。
上野さんの背中を見てずっと一緒に戦ってきたので、
上野さんから掛けてもらって、すごく嬉しかったです。」
24年のパリ大会では再びソフトボールが
オリンピック種目から外れ、(;д;)
その後の28年ロサンゼルス五輪で
復活させようとの動きがあるとのこと。
上野選手がつないできたように、諦めることなく、
この先へと夢を抱き続ける選手たちの思いは、
きっと変わらないでしょう。
参考:
・読売新聞
・Yahooニュース