家族愛とサムライ魂で勝ち取った五輪メダル~五十嵐カノア選手~

ある日の出来事
サーフィン男子で、五十嵐カノア選手(23)が銀メダルに輝いた。
7月27日最終日の台風が接近する、釣ヶ崎海岸(千葉)。                    
台風の影響で荒れる海面を自在に動き回って、
鋭いターンやトリックを連発し、ダイナミックな技を次々に決めた。
 
<五十嵐カノア選手のヒストリー>
元プロサーファーの両親は1995年、
東京から米カリフォルニア州に移住した。 
「ハワイはサーフィンの『聖地』、
日米の中間にある。両国の懸け橋となるサーファーに」と願い、
1997年10月1日 生まれの息子の名前をハワイ語で、
「自由」を意味する「カノア」と名づけた。
 
3歳の誕生日に6フィート(約183センチ)のサーフボードを買ってもらい、
1回目から転ばずに立ち続けた。
滑り台を楽しむ子のように「もう一回」と何度もせがんだ。
 
米国で練習をしながら、トップ選手に成長。
大波を求めて世界を回るようになると
日本語、英語に加え、ポルトガル語、スペイン語、フランス語も覚え、
5か国語を操り、国境を感じさせない身軽さだった。
 
2016年のワールドチャンピオンシップにおいて、
背番号は『50』苗字の「五十嵐」からきている。
好きな番号を自由に選べる中で、いちばん大切な数字として、
アメリカ国籍ながらも自分の中にある「日本」を背負って挑んでいた。
 
「カノアのひいおじいさんは、新撰組局長・近藤勇さんの愛弟子で剣の達人だった。
またカノアの母親側の先祖は、明治維新時代に活躍した清水次郎町の血筋を受け継いでいる。」
と、父親の元サーファー五十嵐勉さんは言う。
 
「サムライ魂は本物なんだ。僕の身体に染み付いているんだ。
だからただ勝つだけじゃなくて、自分の方法で、自分らしく勝つことが大切なんだ」
 
日本に来ると、
尊敬していた祖父のお墓参り(東京都調布市・深大寺)を必ずしている。
 
「家の外ではアメリカ人で、家に帰ると日本人だった。
両親は僕に一番のサーフィン環境を与える為に日本での事を全て手放して、
アメリカに移住したんだ。
両親は英語もほとんど話せなかったし、経済的に裕福でもなかった。
それでもアメリカンドリームを叶えるために必死だったんだ。」
と、カノア選手は言っている。
 
世界ツアーを共に回ってくれ、また自分をよく知り、アドバイスを送り、
いつも支えてくれる家族にも常に感謝していた。
 
「深い絆のある両親の母国、日本で金メダルを獲り、
日の丸を掲げて親孝行したい」
という願望を持っていた。
 
<試合後のインタビューでは>
「金メダルが取れなくて悔しいけど、海の神様にありがとうと思った」        
 
「初の五輪で良いサーフィンを見せることができ、日本のためにメダルも取れた。
一人でもサーフィンをしたくなった人がいたら、本当に嬉しい」
 
<波乗りジャパンチームは>
五十嵐カノア:銀メダル
都筑有夢路:銅メダル
大原洋人:5位
前田マヒナ:9位
 
オリンピック新競技となったサーフィンで
開催国として素晴らしい結果を残し、
多くの人を感動させた。
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参考:
・WAVAL(ウェイバル)
・読売新聞

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