「山を動かす」というパホ―マンス

信念をもって

人生には、時として大きな山のような困難が立ちはだかることがあります。
「山を動かす」という一見不可能なエピソードについて、人生や信仰、リーダーシップについていくつかの教訓を考えてみようと思います。

イスラム教の開祖マホメットは、ある日こんな宣言をしたそうです。 
山を動かして見せると言うのです。

「私が山をここに呼ぶから、〇〇日にここに集まってください」と宣言しました。
人々はマホメットが奇跡を起こすのを見たいと思い、大勢が集まりました。
その日が来ると、マホメットは山に向かって叫んだのです。

「おい山、こちらへ来い!」
しかし、山は動きませんでした。 

マホメットは再び山に呼びかけましたが山は動きません。
彼は三度、山に呼びかけましたが山は最後まで動くことはなかったのです。

マホメットは民衆に言いました。 
「私は山にここに来るように言った。しかし、山の方ではそのつもりがないようだ。 
それなら、こっちから行くしかあるまい」 

そう言うと、スタスタと山に向かって行った。 
すると、その後ろから民衆はゾロゾロと付いて行ったのです。 

このパフォーマンスにはどのような意味があるのでしょうか?

これは、奇跡を待つのではなく、夢や目標も、自分から求めていかないと自分のものにはならない。 自ら行動を起こすことの大切さを示しています。

また、目標に向かって自ら努力することの重要性を象徴しています。

マタイの福音書や中国の古事の中にも「山を動かす」という同じようなお話があります。

信仰は山をも動かす(マタイの福音書 17:20 )
「もしあなたがたに小さな からし種ほどの信仰があったら、この山に向かって『ここからあそこに動け』と言えば、そのとおり山は動くのです」

小さな信仰でも、大きな変化をもたらす力があるということを示しています。
強い信念があれば困難を克服できるという意味です。

中国の古事には・・・
愚公山を移す(ぐこうやまをうつす)
むかし中国に愚公という老人が、家の前にある二つの山を邪魔として、この山を他の場所に移そうと考え、長年にわたって努力した。これを見た人が、その愚かさを笑ったが、愚公は子々孫々続ければいつかは成功すると答えた。その志に感じた天帝が一夜で山を移させたといいます。


一見不可能に思えることでも、どんなに困難なことでも、努力を続ければ、やがては成就するという教訓です

これらの物語が教えてくれるのは、その山を前にしてただ立ち止まるのではなく、勇気を持って一歩を踏み出すことの大切さなのでしょうか。

強い思いを胸に抱き、あきらめずに頑張り続けること。そして、自分から行動を起こすこと。
これらは、私たちの人生を豊かにし、夢や目標に近づく力となります。

リーダーとなる人も、このような姿勢を持つことで、周りの人々に希望や勇気を与えることができるんですね。

 

つまり、「山を動かす」というのは、実際に山を動かすという意味ではなく、私たちの人生で出会う大きな壁や挑戦を乗り越えていく、その過程そのものを表していると思います。

困難に出会ったとき「できない」と思うのではなく「どうすればできるか」と考えてみたい。そして、小さな一歩から始めてみる。
そんな前向きな姿勢が、私たちの人生を豊かにし、夢への扉を開いてくれるのでしょう。

 

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