先日、ふとしたことで長女と口論になった。
「なぜそんなに周りの目を気にするの?」
と私が言うと娘は言い返した。
「なぜこんな神経質な私に育てたの!」
そんな口論のあとで思い出したことがあった。
「チャイルドアートセラピー」
子供の絵でその子の心理がわかるというものだ。
昔、これと似たことを娘たちに実験したことがあった。
娘たちが、たぶん小学生の低学年のころ。
その実験で私は大きなショックを受けた。
その実験とは・・・
娘二人に癒し系の音楽を聞かせる。
寝っ転がったりリラックスさせて、
目を閉じたまま聞かせるのです。
「眠くなったら寝ちゃっていいよ」と伝える。
そして、曲が終わってから・・・
「目をつむっていたとき、どんな景色が見えた?」
見えたり感じたことを絵に描かせ、その絵を説明してもらう。
その時、私は、長女の絵に大ショック!
彼女は、一面の暗い海を描き、
その海の中に黒とグレーの目だけを無数書いた。
とても不気味な絵だ。
「たくさんの目が私を見ているの・・・」
と長女は説明した。
次女は、同じように海の風景である。
海岸には家族4人が並んで描かれていた。
遠くの青い海岸線には船を描き、太陽も・・・
子供が描くごく一般的な絵のようだった。
「パパとママとお姉ちゃんと、海に遊びに行ったの・・・」
何故か二人とも海の絵だったことが不思議。
聴いた曲に海を感じさせたのだろうか。
私はアートセラピーの専門的な知識など持っていない。
でも、長女の不気味な絵はメンタル面の異常なサイン。
娘の心が発した”イエローカード”なのか・・・
当時、長女はバイオリンの過酷なレッスンを受けていた。
バイオリンの先生は優秀、回りの生徒たちも皆優秀だった。
娘は3歳の誕生日から”スズキメソッド”のバイオリンを開始。
小学校低学年で弦楽団の一員にもなれた。
小学校4年生の時、
弦楽団で”ビバルディの『四季』の春と夏”のソロもした。
コンサート当日とリハの数日は学校を休んだ。
おそらく、本人には、すごいプレッシャーだった。
生活=バイオリンだった。
勉強する時間も遊ぶ時間もがなかった。
海外からVIPが来ると娘達は、
出かけて行ってバイオリンを披露した。
その様子は週刊誌にも載った。
”スズキメソッド”がそれだけ優れていたためだ。
当時は、4、5歳の子供がモーツァルトなどを弾くのは物珍しかった。
先生の娘達に期待する視線を感じながら、
バイオリンが楽しいと言うより忍耐と努力だった。
子供に寄り添った母親の私がそうだったから。
長女は人の目や評価をいつも気にしていた。
「先生に叱られる」
「お友達に負けちゃう」
「みんなに笑われる」
あの実験で長女の描いた絵は、
娘の心が発する”イエローカード”
私は悩みに悩んだ末、独断で
翌年、バイオリンを止めさせた。
同じように2歳からバイオリンを始めた次女までが、
まばたきのチック症状が始まったことでもあった。
バイオリン二ストになりたいという娘達の夢も奪った。
あれから30年・・・
そんな昔を時々思い出しては考える。
バイオリンを止めさせたことが良かったのか悪かったのか・・・
私の心の中に少なからず、
”バイオリンを続けさせてあげなかった”という傷は残っている。
娘たちの心に「挫折感」を与えたのかどうかも気になる。
でも、過ぎ去った過去を振り返って後悔はしない。
それでよかったのだと思う。
結婚し子供が生まれてからはバイオリンをほとんど弾かない娘達。
毎日子育てに奮闘する中で、あの頃の思い出話に二人はケラケラ笑う。
「あの時、本当に頑張ったね!」
「おかげで我慢強くなったよね!」
子供はいろんな”イエローカード”を発する。
子供の”イエローカード”を見逃さない。
子供の一番の理解者は親であるはず。
親である”審判”にも見えず感じないサインもある。
だからといって、絶対に・・・
”レッドカード”にしてはならない。
絶対に・・・