『裁判官が日本を滅ぼす』が突きつける、日本司法の根源的な問い
「裁判官が日本を滅ぼす」と言われたら、あなたはどう思いますか。
多くの人は、おそらく――
「まさか! ウソでしょう?」と眉をひそめるでしょう。
しかし、ジャーナリスト・門田隆将氏は、
その“まさか”とも思える現実を、実名と具体的事例をもって突きつけたのです。
それが、司法改革のバイブルとなった書、『裁判官が日本を滅ぼす』です。
本書は、単なる司法批判ではありません。
日本の法廷で日々行われている「裁判」が、真実や正義の追究ではなく、
形式と前例に支配された「法廷ゲーム」と化している現実を告発しました。
極めて重いノンフィクションです。
<ジャーナリスト・門田隆将氏>


官僚裁判官という“ゲームのアンパイア”
門田氏が描く日本の裁判官像は、
私たちが抱く理想とはあまりにもかけ離れています。
日本の裁判官の多くは官僚であり、
常に200件、300件もの事件を抱えています。
一つひとつの事件に真摯に向き合う余裕はなく、
「相場」「前例」「形式」に従って、次々と処理していくといいます。
そこにあるのは、
被告人や原告の人生に向き合う姿でも、
社会正義を体現しようとする覚悟でもないようです。
あるのは、
ゲームの審判(アンパイア)として、淡々とジャッジを下す姿なのです。
門田氏自身も、東京地裁で「言論・表現の自由」を狭める理不尽な判決を受けたと語っています。
ジャーナリズムの現場を理解しない裁判官が、机上の理屈だけで言論を裁く――
それは、民主主義社会にとって極めて危険な兆候なのです。
正義の女神ユスティティアが象徴するもの
ここで思い起こしたいのが、「正義の女神」ユスティティア(Justitia)です。
ユスティティアは、ラテン語で「正義」を意味し、
裁判所や法廷でよく見られる象徴的な女神像として知られています。

彼女が持つ三つの象徴には、明確な意味があります。
- 天秤:物事を公平に計量する(公平性)
- 剣:法を断固として執行する力(力)
- 目隠し:先入観や偏見を持たず、心眼で公平に判断する(公平性)
つまり、
「誰であっても、感情や偏見を交えず、証拠と法に基づいて裁く」
それが司法の理想であることを、女神像は語っています。
日本の最高裁の女神は目隠しをしていない
ところが、日本の最高裁判所に設置されている高さ約1メートルのブロンズ像――
ユスティティアは、目隠しをしていません。
<最高裁判所の「正義の女神像」↓>

右手に剣、左手に天秤。
しかし、公正・公平を象徴するはずの「目隠し」がありません。
これは偶然なのでしょうか。
それとも、日本の司法がどこかで
「先入観」や「立場」や「空気」を見てしまっていることの、
無意識の象徴なのでしょうか。
この像の姿が、単なる造形上の違いとは思えません。
何色にも染まらないはずの、黒い法服
裁判官の法服は、なぜ真っ黒なのでしょうか。
黒い「法服(ほうふく)」には、
「黒は他のどんな色にも染まらない」ことから、
「何色にも染まらない」という決意の象徴だと言われています。
「何ものにも影響されず、中立・公正な立場で裁判を行う」という決意が込められています。
しかし、もしその内側が
「保身」「前例主義」「官僚的思考」に染まっているとしたら、
黒い法服は、正義の象徴ではなく、
思考停止を隠す装束になってしまいます。
安倍元総理暗殺事件の判決に残る疑問
近年の象徴的な出来事として、多くの国民の心に残っているのが、
安倍晋三元総理暗殺事件です。
日本の民主主義の根幹を揺るがす、かつてない大事件であったにもかかわらず、
その裁判過程や判決については、
- 証拠の精査が十分に尽くされたのか
- 背景や動機について、真相究明がどこまでなされたのか
といった点で、拭いきれない疑問を感じた人も少なくありません。
もちろん、司法判断を感情で断罪することは慎むべきです。
しかし同時に、国民が「本当に真実は明らかにされたのか」と感じる余地を残したまま、
一件落着のように幕が引かれてしまった印象があることも、率直な事実です。
司法への信頼は、納得と透明性の上にしか成り立ちません。
司法は、生まれ変われるのか
2009年、裁判員制度が始まり、日本の司法は「改革」の道を歩み始めました。
しかし、本当に変わるべきものは制度以前に、
裁判官一人ひとりの意識ではないでしょうか。
裁判官は、国民の奉仕者であり、正義を預かる存在です。
『裁判官が日本を滅ぼす』は、
裁判官を断罪するための本ではありません。
司法が本来あるべき姿に立ち返るための、
痛みを伴う警鐘ではないでしょうか。
正義の女神は、本来、目隠しをしています。
その目隠しを、私たちは、
日本の司法にかけ直す必要があるのではないかと思うのです。
「許しなさい・愛しなさい」という視点から
最後に、はっきりと記しておきます。
この記事は、裁判官への恨みや糾弾、怒りを目的としたものではありません。
家庭連合が説いてきた「許しなさい」「愛しなさい」――真の愛の観点に立てば、
正義とは、誰かを打ち倒すための剣ではなく、
弱いものを守る剣であってほしいのです。
人と社会を正しい方向へ導くための光です。
だからこそ、
日本の司法が、本当の意味で目隠しを取り戻し、
心眼でもって証拠と良心に基づいて真実を量り、
正義の女神にふさわしい姿へと変わっていくことを願います。
批判や憎しみのためでもなく、
愛と希望をもって、日本の司法の再生を願うために――
この問いを、静かに投げかけました。
*ローマ神話では正義の女神は「ユスティティア」
ギリシア神話では「テミス」が正義の女神になります。
