世界中が震撼した2001年、9.11アメリカ同時多発テロ事件から
今年で23年が経った。
今年で23年が経った。
23年を経て、歴史に残る悲惨な出来事もしだいに忘れてしまうもの。
しかし、決して忘れない人たちもいる。
しかし、決して忘れない人たちもいる。
「3.11」と「9.11」は、私にとっても決して忘れられない日。
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私は、9.11の2年後。
2003年8月にニューヨーク州マンハッタン島の最南端にある
貿易センター・ツインビルの倒壊跡地である「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」を訪た。
その当時はここをこの様な名前で呼んでいなかった。
2003年8月にニューヨーク州マンハッタン島の最南端にある
貿易センター・ツインビルの倒壊跡地である「グラウンド・ゼロ(Ground Zero)」を訪た。
その当時はここをこの様な名前で呼んでいなかった。
マンハッタン島での「宣教活動」の帰り道足を延ばしてここに立ちより、
犠牲になった3000名のために祈りたかった。
犠牲になった3000名のために祈りたかった。
当時は、瓦礫の山と化した貿易センターツインビルはすでに撤去されていたが、
跡地はまるで灰色の巨大な工事現場のようだった。
そこに踏み込むことはとても恐ろしかった。
跡地はまるで灰色の巨大な工事現場のようだった。
そこに踏み込むことはとても恐ろしかった。
倒壊現場に隣接している大きな教会があり、
そこにはたくさんの人たちが来て祈りを捧げていた。
そこにはたくさんの人たちが来て祈りを捧げていた。
グラウンド・ゼロの周辺のウォール街は、
2年経てもそのままで、廃墟と化していた。
ここはアメリカの経済の中心地であったが、
建物という建物にはシャターが降りて、
人も住んでいないような不気味な街だった。
2年経てもそのままで、廃墟と化していた。
ここはアメリカの経済の中心地であったが、
建物という建物にはシャターが降りて、
人も住んでいないような不気味な街だった。
車が走ると土埃が舞いあがった。
2年が経ても当時の爪痕が残る恐ろしい場所だった。
2年が経ても当時の爪痕が残る恐ろしい場所だった。
その後、私はここには行っていない。
現在、「グラウンド・ゼロ」は、
緑と水の美しい公園に生まれ変わっている。
周辺は素敵なオフィスやショッピング街に変わった。
9/11博物館などを訪れる観光客も多い。
緑と水の美しい公園に生まれ変わっている。
周辺は素敵なオフィスやショッピング街に変わった。
9/11博物館などを訪れる観光客も多い。
2つの正方形のグラウンド・ゼロは巨大なプールのような記念碑になり、
滝が流れ込むプールを取り囲む石碑には犠牲者の名前が刻まれている。
滝が流れ込むプールを取り囲む石碑には犠牲者の名前が刻まれている。
犠牲者のお誕生日には、花や国旗が捧げられるそうだ。
「グラウンド・ゼロ」は、アメリカ人にとって追悼の場であり、
テロに屈しない強い決意を象徴する場所である。
テロに屈しない強い決意を象徴する場所である。
グラウンド・ゼロを覗き込むように『復活』のシンボルとした、
超高層オフィスビルが堂々とそびえ建っている。
超高層オフィスビルが堂々とそびえ建っている。
「ワン・ワールド・トレード・センター」である。
ワン・ワールド・トレード・センターは、
2006年着工し2014年に完成した。
ミラーガラスで覆われた104階建て。
2006年着工し2014年に完成した。
ミラーガラスで覆われた104階建て。
ミラーガラスには青空と雲が映って自然の中に同化している。
全米一の高さを誇る1776フィート(約541メートル)
“1776”という数字は米国独立宣言の年にちなんでいるそうだ。
全米一の高さを誇る1776フィート(約541メートル)
“1776”という数字は米国独立宣言の年にちなんでいるそうだ。
ここに眠る3000名の魂の願いと、
ここで叫ぶ平和への祈りは届いているのでしょうか・・・
ここで叫ぶ平和への祈りは届いているのでしょうか・・・
*参考
“グラウンド・ゼロ”は、英語で「爆心地」を意味する語。
強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾や水素爆弾の爆心地を指す。
従来は広島と長崎への原爆投下爆心地を指していた。
“グラウンド・ゼロ”は、英語で「爆心地」を意味する語。
強大な爆弾、特に核兵器である原子爆弾や水素爆弾の爆心地を指す。
従来は広島と長崎への原爆投下爆心地を指していた。
*掲載写真は全てお借りいたしました。










