「他の為に生きなさい」と教えてくださった、
文鮮明・韓鶴子御夫妻に出会ってから
私達家族は、すでに30年以上になりました。
御夫妻の「為に生きる」生き様と教えは、
私達家族にとって、人生における大転換の道を歩むきっかけになりました。
「為に生きる」は、今日まで家族の目標ではあります。
しかし、実際に「為に生きる」ことは、とても難しい生き方です。
わが身や家族を犠牲にし、生涯を人類の幸福の為に生きてこられた
文鮮明・韓鶴子御夫妻の後ろ姿を追いかけながら、
御夫妻のその壮絶な生涯を見るたびに、涙しかありません。
しかし、そこには人類の幸福と世界を平和に導く希望があるのです。
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長女は大学在学中(2000年頃)、
仲間と奉仕団を作ってカンボジアに、
次女はハワイ州で宣教と奉仕活動をした。
バイオリン二ストが夢だった娘達は、
長女は3歳、次女は2歳でバイオリンを始めた。
海外からのVIPが来ると、そこに招かれて演奏したり、
小学生で弦楽団のソロもしていた。
親にとっては自己満足にすぎなかった。
厳しい立派な先生に師事しため、
小さな指から血が出るほどレッスンをした。
演奏会が近づくと、学校を休んだり早退をしなければならなかった。
”親も子もバイオリン漬けの生活”に疑問を持った私たちは、
10年でその夢にピリオドを打った。
二人は新たな夢に方向転換した。
二人とも、高校卒業後は韓国に留学した。
『愛天愛国愛人』の建学精神を持つ、鮮文大学神学科に進んだ。
長女は大学在籍中、バイオリンを担いで、
大学の仲間や先輩たちとカンボジアに行って奉仕活動もしていた。
エイズ患者の病院や、地雷で足を失った人たちが働いている作業所などを周り、
そこの仕事を手伝いながら慰問して回った。
彼らの奉仕と慰問は、言葉の壁を越えて温かいふれあいの場を作ったようだ。
「カンボジアは、貧しい国ではあるけれど、
みんな本当に心が綺麗で温かいよ。瞳がキラキラ輝いているの」
と、言いながらカンボジアから帰る娘は生き生きとしていた。
大学卒業後も、時々カンボジアを訪ねていた。
仲良しになった、瘦せ細って余命わずかのエイズの子供が、
亡くなったことを知ったとき、娘は相当のショックを受けた。
カンボジアの人たちとの愛と感動の触れ合いの中で、
娘は大きく成長させてもらった。
与えたのでなくて、逆に与えてもらったのだ。
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娘たちのそのような活動から20年が経った。
娘たちの活動した後も、青年たちの絶えることのない
地道な宣教活動と平和統一運動によってカンボジアは変わっていった。
2019年、11月19日カンボジアの首都プノンペンにある首相府に
国家次元でフン・セン首相が韓鶴子総裁を迎えた。
『アジア太平洋サミット2019カンボジア』を開催し、
世界の50各国以上から700人以上の指導者が参加した。
フン・セン首相の決断によって発表された「『アジア太平洋ユニオン』が、
人類の前に希望となることでしょう」と韓鶴子総裁は述べた。
サミット開会式の中で、フン・セン首相が
「カンボジア王国友好勲章」を韓鶴子総裁に授与した。
(アジア太平洋サミット2019カンボジア)
そして、数日前の2021年9月12日、
UPF主催の『シンクタンク2022』においては、
韓国を拠点にし、195か国をオンラインにて、
トランプ前大統領、安倍晋三元首相、フン・センカンボジア首相、
ホセ・マヌエル・バローゾ元欧州連合(EU)執行委員長、
グロリア・アロヨ元フィリピン大統領など、
世界有数の指導者8人が基調演説を行った。
その様子をライブで見ていた長女が、
突然、画面を指さして興奮した。
20年前、カンボジアで一緒に活動したメンバーのSさんが、
立派なおじさんの姿で、フン・セン首相の隣に並んで立っていたからだ。
(驚き興奮するそんな娘は、5人の子を持っおばさんの姿です。ヽ(´∀`)ノ )
「小さな小さな為に生きる」カンボジアに蒔いた種は、
絶やすことなく水をやり、肥料を与えることで、
20年後にはその国のトップを動かすほどの立派な花を咲かせていたのです。