『9.11』2001年9月11日の
アメリカ同時多発テロ事件から20年。
あの日の事件は、20年を経ても
記憶の中から強烈によみがえってきます。
その2年後、またテロ事件かと、
アメリカ全土を震撼させた事故がありました。
2003年8月14日午後4時ころ
日本時間では15日早朝に起きました。
私はその日 、ニューヨークのマンハッタンにいました。
宣教活動中に起きた恐怖体験の「ブラックアウト」です。
アメリカ史上最大の停電が起きたのです。
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この日、私は10歳年下の日本婦人と二人でマンハッタンにて、
朝10時から午後4時まで、
アメリカの貧しい子供たちのための
ファンドレージング(募金活動)をしていました。
この日はとても暑い日でした。
そろそろハーレム(マンハッタン区)にある
宿泊先の教会に帰ろうと地下鉄の駅に来ると、
地下鉄が止まっていました。
電車が止まる・・・
こんなことは日本でも人身事故などで時々あることです。
でも、何かおかしな雰囲気です。
どうしたのだろうと辺りを見ると
信号も止まり、 店やオフィスの電気が点いていません。
「あら~~停電だわ!」
電車が止まったなら、
バスで帰ろうとバス停に向かいました。
ところが、バス停には長蛇の列ができていました。
おまけに、なかなかバスが来ません。
バス路線を変えて帰ろうと他のバス停に行きしましたが、
そこも、さらにバス待ちの人でいっぱいでした。
便利な環境に慣れている私には、
この時の深刻さにまだ気付いていませんでした。
何だかみんな不安と焦りでイライラした様子です。
やっと来たバスは超満員で乗れません。
バスを待っていた数人が、バスに駆け寄って
ドアを叩いてバスを止めようとしました。
開いているバスの窓から乗り込もうとする人もいました。
信号が止まったので交差点内では車が方向を失い、
数人の男性勇士が手信号で車の整理を始めました。
しかし、次第に道路は車でいっぱいになり、
身動きが取れなくなってしまいました。
消防車やパトカーがやって来ても、
その中に閉じ込められてしまいました。
マンハッタンの高層オフィスビル街。
こんなに人がいたのかとビックリするほど、
沢山の人々が次々に外に出てきました。
次第に歩くことができないほど人でいっぱいになりました。
<当時の様子:人と車でいっぱい>
おまけに蒸し風呂の中にでも入ったような暑さです。
お店は次々にシャッターを下ろし閉店ました。
しかし、しばらくして食料品の店は
再びシャッターを開けました。
冷蔵庫や冷凍庫にあった商品などを
店先に出して叩き売りを始めました。
人垣を縫って覗き込んでみると、
水やアイスクリームが積まれていました。
そして、なぜか靴やサンダルなどにも沢山の人だかりです、
どうやら靴を履き替えて歩いて帰るためのようでした。
電車もバスも駄目、
帰る手段が見つかりません。
宿泊先のハーレムまで歩いたら夜までには帰れると言われました。
でも、地図もなく帰る道順がわかりません。
「どうやって帰ろう・・・」
「トイレにも行きたい・・・ 」
何とかなるだろうと思っていた私は、
次第に不安になっていきました。
言葉もわからない・・・
丸い地球のど真ん中・・・
針の先にもならない場所で・・・
たった一人。
この様なパニックの最中には、
誰も自分のことで精いっぱいだから、
私のような小さな日本人を心配する人はいません。
こういう恐怖や不安は海外宣教では付きもの。
過去にはいろんな体験してきました。
その度に、
「どんな時でも神様は、私を見捨てない」
「私はいつも神様と道連れ」
そういう安心感がどこか心の片隅にありました。
前後左右がわからなくなった時は、
真上を仰ぐしかありません。
頭上にいる神様に尋ねる方法があります。
道路にドカッと座り込んで ・・・
「落ち着いて落ち着いて、慌てないで!」
すると・・・
「大丈夫・・・、何とかなるよ・・・」
「帰ることを考えるのではなく、留まることを考えよう」
「そうだ!きょうは帰らないで泊まるところを探そう!」
さらに祈ってみると・・・
アメリカ男性と結婚し、
34ストリートのニューヨーカーホテルに住む、
日本人女性のYさんが思い出しました。
すでに日が落ちたマンハッタンの街中をあちこち探し回りながら、
足を棒にしてやっと探し当てたニューヨーカーホテル。
停電してからすでに3時間が経っていました。
しかし、そのホテルも、
ホテルとは思えない恐ろしい光景になっていたのです。
<ニューヨーカーホテル>
(後編に続きます)\(^o^)/