目の前を通り過ぎる人

家庭は愛の学校
「いや~奥さん! こんな風に見送ってもらったら、
ご主人はさぞかし仕事頑張ちゃうでしょうねぇ~」

と見知らぬ老人が突然話しかけてきた。
家の玄関先で、主人の出勤を見送っていた時である。

毎日、主人の出勤を姿が見えなくなるまで手を振って見送る。
主人も、必ず2回振り返って手を振って行く。

こんな習慣は、結婚した頃から40年以上も続けて来た。

家を留守にした時と、病気で寝込んだ時以外は必ず見送る変なこだわりがある。

「出勤するその時の主人の後ろ姿が最後でした…、
しっかりさよならしておけば良かった」

な~んて言うことになってしまわないように。(笑)  

 
*********

その先ほどの老人が、続けて私に言った。
「私はあなたのことよく知っていますよ」と、私は一瞬 “ギョッ”とした。
(私の何をこの方は知っていらっしゃるというのか?)

 
「えっ?!」  私は次に続く言葉が見つからない。
「優しいご婦人がいたもんだと関心してたんですよ」と 老人は言った 。 
彼の話によれば、バス停の時刻表が暗くて見えずに困っていたら、
私が懐中電灯を照らしたと言う。
そう言われてみれば、確かそんなことがあった。
私の家の斜め前にはバス停がある。 夕方のそろそろ暗くなるころ、
一人の老人がバス停でゴソゴソ何かしている。「どうかしましたか?」と声をかけてみた。
「時刻表が見えないんですよ…。今度のバスは何時ですかね?」と聞かれた。

どれどれと私も時刻表を覗き込む、
しかし、あたりはうす暗くて私の目にも見えない。

「ちょっと待って下さい! 明かり持ってきますから…」と 私は家に飛び込んだ。

懐中電灯を照らすと、バスはちょうど2,3分で来る。
バスが来るまで、おしゃべりしながらしばらく待った。

誰も乗っていないバスの中に消えて行く老人に私は手を振った。
老人は「すみません…。ありがとう…」を繰り返して、
バスの中から何度も何度も頭を下げた。 

 
 ********                  
 
「そうでしたね~、そんな事がありましたね。今思い出しました!」と言うと、
「毎朝、ご主人を見送って偉いですな~」と、老人は再び言った。
主人には一度も褒めてもらえないけれど、
他人のちょっとした仕草を褒める、この方は凄いと思う。
どうやら彼の散歩の時間と主人の出勤の時間が同じらしい。
ほとんど周りに気を使わない私の姿を、この老人はしっかり見ていたのだ!

次の日から、私は恥ずかしくて、周りを気にするようになった。

それからは、しっかりこの老人の姿が目に入るようになった。
時々「おはようございます」と彼は丁寧に挨拶しながら、
私の前をゆっくりゆっくり通り過ぎて行く。

会えない日は 「どこか体でも悪くなったかな…」と気になってしまう。

今朝も、彼はいつものように元気に、私の目の前を通り過ぎて行った。 

 
 

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