(前篇からの続き)
マンハッタンをあちこち回り足を棒にしてやっと探し当てたホテル、
34ストリート、ニューヨーカーホテル。
停電してから3時間(午後7時頃)が経っていました。
しかし、立派なホテルの一階ロビーもまた、
凄まじい光景になっていました。
真っ暗なロビーには沢山の人が床に座っていました。
ホテルに避難し、そこでみんな泊まり込む気配でした。
日本の被災地で配られるような毛布や敷物もありません。
エアコンも止まって、とても暑い最悪な環境でした。
私が、トイレに駆け込むと、
ホテルの女性従業員がトイレの入り口に立って、
懐中電灯で明かりをくれました。
エレベーターも止まっていたので、
真っ暗な内部階段を歩いて上るしかありません。
「上の階に行く方はいませんか~?」
偶然にも誰かが叫んでいました。
すると、内部階段のドア前に
5,6人の人が集まって来ました。
ホテルマンの懐中電灯の明かりを頼りに、
みんな一緒に内部階段を上りました。
次々に人が減って、
さらに上の階に昇る私だけが最後の一人になりました。
私は、二十数階にある知人のYさんの部屋まで
ホテルマンに同行してもらいました。
部屋のドアをノックしました。
ドアが開き部屋の小さな明かりが漏れました。
「助かった!」
今でも、その瞬間をはっきり覚えています。
ニューヨーク全体がパニックで、
誰もみな興奮状態であったために、
Yさんは、突然のゲストにびっくりした様子もなく、
私を喜んで迎えてくれました。
Yさんご家族のご主人や子供たちは
すでにみんな無事に帰宅していました。
部屋の真ん中に一本の太いローソクが灯っていました。
部屋いっぱいを明るく照らす一本のローソクが、
なんとありがたいことか。
水道が止まっているので
トイレも使えず、お皿一枚洗えません。
調理もできない、本当に何もできない状態です。
電気や水がないことがこんなに不便なものかと、
普段、当り前の生活をしていることが、
どれほどありがたい事かと痛感しました。
Yさんは冷蔵庫にあるだけの水と食料をテーブルに並べました。
洗わなくて済むようにお皿をラップで覆って、
皆で少しずつ取り分けて夕食をしました。
ご主人は、携帯ラジオを抱えて
ラジオから流れる情報をじっと聞いていました。
2001年9月11日に起きた、
貿易センターツインビルの同時多発テロ事件の恐怖がよみがえって、
もしかして、またテロではないかと誰もが思っていました。
ニューヨークの正しい情報が分からないので、
私は携帯電話から日本の自宅に電話をしました。
『全米が停電、原因不明、
回復はいつになるかわからない』
と、いうニュースが日本では流れていると
主人が盛んに心配していました。
彼女の部屋の窓からは、
ちょうど表面にエンパイア・ステートビルが見えました。
エンパイヤステートビルは、
ツインビル(2001年同時多発テロで崩壊)と共に有名な、
マンハッタンでは超高層の美しいビルです。
しかし、その日は黒く不気味な姿でそびえ立っていました。
(当時、暗黒街と化したマンハッタン)
いつもならダイヤを散りばめたような美しい夜景の
ニューヨークの中心マンハッタンは、
一点の光もない暗黒街となりました。
夜空には一つの星さえも見えませんでした。
ホテルの窓下の道路にも、
帰れなかった人たちが、たむろしています、
座り込んだり、ゴロゴロと横になって異様な光景です。
「生まれてから過去にこんなことはなかったよ!」と、
Yさんの御主人が心配顔で何度も言いました。
エアコンも使えず、
開け放たれた窓の下のメイン道路では、
夜通し、けたたましくパトカーと消防車が往来していました。
私は明け方まで一睡もできませんでした。
「何とかして帰らなければ・・・」
何度も窓から階下を覗き込むと・・・
朝明けの中をバスが動き始めているようです!
私は、一泊させていただいたお礼もそこそこに、
ホテルの階段を一気に駆け降りました。
ダウンタウンに向かうバスであれば、
どんなバスでもかまわない!
私はやって来たバスに飛び乗りました。
バスは、ぐるぐるとあちこち周って走っていました。
町並みは何もなかったような静かな朝の風景でした。
ハーレムにある私たちの教会近くでバスを降り
教会にたどり着くと、
なんとそこは電気が点いていました。
「少し前に電気が点いたのよ」
みんなは、私の無事な姿に安心したようです。
マンハッタンに行って活動していた私だけが帰らず、
みんな心配していたのでした。
ほかの地域に行って活動していた人たちは、
止まった電車から脱出し、
線路上を何時間も歩いて、
何とかその日の夜には帰れたそうです。
ニューヨークの中心マンハッタン!
政治経済、ビジネス、文化や芸術の中心、
華やかで堅固で何も恐れる物はない巨大な都市。
しかし、一番便利と思われている都市が、
一番不便になったのです。
アメリカ北西部からカナダにかけた東部一帯に大規模停電、
史上最大の29時間におよぶ「ブラックアウト」。
幸いテロではなかったけれど、
この事故はアメリカ国民や日本にも
大きな教訓を残したそうです。