「僕の家には、優しい幽霊がいるよ」
先日、孫(小学一年生)が、思いがけないことを口にしました。
「僕の家には、優しい幽霊がいるよ」
どんな幽霊なのかと聞くと、こう続けます。
「背の高いお兄ちゃん。お母さんがパソコンで仕事をしている所に立って、
いつもニコニコしている。ずっと前から居るけど、怖くないよ」
あまりに自然に語るので、娘と私は言葉を失いました。
不思議な感性を持つ子ども
実は、この子は幼いころから、どこか不思議な感性を持っていると感じてきました。
たぶん、見えない世界を感じ取っていたのかもしれません。
娘はこの子を妊娠中に離婚し、孫は父親の顔を知りません。
幼稚園で「父の日に、お父さんの似顔絵を描く」という日、
私は胸が締めつけられる思いでした。
「君のお父さんは神様だよ」
父親のいない孫を不憫に思う私は、
幼稚園の送迎の途中、孫の手を握りながら、そっとこう伝えてきました。
「君のお父さんは神様だよ。見えないけど、いつも一緒にいるよ」
この言葉を、孫はどのように受け止めているのだろうか。
そう思うたびに、私は責任を感じてきました。
けれど、ある日、孫がこう言ったのです。
「神様は、ここにいるよ」と、自分の胸を指さして言いました。
その言葉に、私は救われる思いがしました。
神様や霊という見えない存在を、
恐怖ではなく「共にいて、見守るもの」として感じていると思えたからです。
火事のあとに残ったもの
思い出される、もう一つの出来事があります。
2015年、友人の家が火事に遭い、二階は全焼しました。
原因は仏壇のお線香でした。
不思議なことに、一階の仏間と、紫水晶の多宝塔だけは焼けず、
煤(すす)けた状態で残っていました。
焼け出されたご主人は、ぽつりとこう言いました。
「家の中に霊がいっぱいで、俺は入れない」
境界に立つ人
実は、彼は子どものころから霊人を見たり、
気配を感じたりする特別な感覚を持っていたそうです。
しかし、その力を理解されることなく、長年ひとりで抱えてきました。
ある日、霊人に両足をつかまれたとき、彼はこう告げたそうです。
「ここにいてもいいが、悪さはするなよ」
すると、霊はすっと手を放したそうです。
見えない存在と対話し、境界に立つ人。
それが、スピリチュアルな感性を持つ人の姿なのかもしれません。
白い帯のような「群れ」
火事のあと、残された霊の整理を、私たちが引き受けることになりました。
後日、ご主人はこんな話をしてくれました。
「あなた達は、頭の後ろに白い帯のようなものをつけて来るんだよ。
それは良い群れみたいだ。白い服を着て、きちんと整列している。
でも、帰るときに、それを置いて行くんだ」
見えない世界では、信仰や祈りも、
“姿”として現れるのかもしれません。
見えないものに支えられて
聖書には、こうあります。
「信仰とは、望んでいる事がらを保証し、
目に見えないものを確信させるものです」
私たちは、目に見えない神の守り、先祖の祈り、天の計らいによって生かされています。
同時に、目に見えない信仰、祈り、支え、思い、縁や絆によっても、生かされているのです。
恐れる必要はない世界
スピリチュアルな世界は、決して特別な人だけのものではありません。
ただ、感じやすい人、見えやすい人、境界に立つ役割を持つ人が、確かに存在します。
見えない存在を、恐れる必要はありません。
大切なのは、見えない世界にも敬意をはらい感謝することを忘れないことです。
見えない存在への感謝
孫が語った「ニコニコしている存在」。
私たちの背後にいた「白い群れ」。
焼け跡に残った霊たち――。
それらは皆、
「あなたは一人ではない」「いつも守っているよ」と、
教えてくれているように思います。
見えないものに支えられ、守られ、助けられて、
今日も私たちは生きています。
そのことを忘れず、
見えない存在にも、感謝と敬意をもっていきたいと思います。

