あるとき友人が自分の職場の女性社員について
こんなことを言っていた 。
こんなことを言っていた 。
「つい最近、新人社員が入って来たのよ。
その子って私の前で大きなイヤリングをブラブラさせて、
おまけに真っ赤な爪がどうも気になるのよね」と 言っていた。
「その子は何か悩んでいる事でもあるんじゃないの?
仲良くなって話をしてみたら」
私は無責任なことを言っていた。
後で知ったのですが、その子は母子家庭で母と妹の三人暮らし、
その子のお母さんは朝から夜遅くまで働き、
彼女は子供のころから妹の世話をしてきて、
お母さんと苦労を共にしてきた娘さんだったようです。
大きなイヤリングと赤い爪は、
自分のことを理解してほしいという、
彼女の寂しい心の叫びのようにも見えるのです。
親に心配をかける子、大人からは問題児として扱われる子を、
私達大人はその子の外見とか行動だけを見て、
深いところに押し隠された彼らの心が
見えていないのかもしれません。
見えていないのかもしれません。
青少年の犯罪などを見ると
「あんなにおとなしい子がなぜ?」
理解できないようなことが起きます。
内なる心の叫びをにわかに表にあらわすことのできない
ナイーブでおとなしい子供たちが、
一番身近な両親や先生や友人にさえも
理解されずに
理解されずに
犠牲になっているのかもしれません。
「受け止めて認める」こととは、
相手の立場を認め理解してあげること、 愛することなんですね。
そっと寄り添ってあげたいと思うことがあります。
そんな”豊かな心”で見つめたら、
大きなイヤリングも赤い爪も微笑ましく見えてくるのかもしれません。