83歳、条件付き保釈――韓鶴子総裁を支えた「不屈の信仰と忍耐」

文鮮明、韓鶴子御夫妻

~人をつくるのは、苦難そのものではない。
苦難の中で、それでも歩き続けた心である。~

83歳、病院で迎えた「条件付き保釈」

2026年10月19日、韓国のソウル高等法院。
世界平和統一家庭連合の韓鶴子総裁に対する保釈を許可しました。

韓総裁は一審で計懲役2年の判決を受け、
判決を不服として控訴しており、今後も控訴審は続きます。

現在83歳の韓総裁は、10月13日に行われた保釈審問に、
車椅子に乗り、患者服姿で出廷しました。

弁護側などの情報によれば、
心臓や目の疾患、拘置中の転倒後に受けた肩の手術など、
複数の健康問題を抱え、体重も大きく減少していたとされています。

保釈審問では、韓総裁自身も、

「薬を一人で服用することも難しく、近くの文字さえ、はっきり見えなくなった」
と健康状態について訴えました。

さらに、誰かの助けがなければ日常生活にも困難があるとして、

「自宅で治療を受けながら生活できるよう、お力添えいただければありがたいです」
と裁判所に訴えたと報じられています。

しかし、結果的に認められたのは、条件付き保釈でした。
自由に自宅へ帰ることのできる保釈ではありませんでした。

居住場所は現在治療を受けている病院に限定。
保釈金2億ウォン(2400万円)の納付に加え、事件関係者との接触も禁止。

したがって、自宅に戻り、教会の集会に参加したり、自由に外出できません。

それでも、これまでの一時的な「拘束執行停止」とは異なり、
今回は控訴審において正式に保釈が認められました。

拘束から長期拘留393日目に迎えた、一つの大きな節目となりました。

報道だけでは見えてこない韓鶴子総裁の姿

このようなニュースだけを見れば、
「韓鶴子という人はどのような人物なのだろう」と思われる方もいるでしょう。

世界平和統一家庭連合では、韓鶴子総裁を「真のお母様」と呼びます。
一方、その平和活動に共感する一部の宗教指導者や人々からは、
「平和の母(Mother of Peace)」と呼ばれることがあります。

しかし、呼び名や肩書だけで、一人の人間の人生を知ることはできません。

また、これまで韓総裁については、さまざまな報道や批判が繰り返されてきました。

その中には、事実とは大きく異なる内容があります。
韓総裁本人の歩みや考え方が十分に伝わらないまま、
強い言葉だけが独り歩きしてきた面もあったのではないでしょうか。

そのため、報道を通して作られたイメージは知っていても、
韓鶴子という一人の女性が、何を信じ、何を願い、どのような人生を歩んできたのか――
その内面や生き方まで知る人は、意外に少ないのかもしれません。

もちろん、一人の人物に対する評価は、それぞれ異なってよいと思います。

だからこそ、批判や評価だけではなく、本人が実際に何を語り、何を願ったのか。
どのような人生を歩んできたのかを、考えてみることが大切ではないでしょうか。

世界を一つの家族に――生涯を貫いてきた願い

韓総裁は1943年、現在の北朝鮮地域に生まれ、
幼い頃から戦争と南北分断の混乱を経験しました。

やがて文鮮明総裁と結婚し、14人の子どもの母となる一方、
夫と共に世界各地を巡り、平和への思いを訴え実践してきました。

その生涯を通して願い続けてきたのは、
国や人種、民族、宗教の違いを超えて、
人々が一つの家族のように互いを愛し、支え合い、
平和と幸福の中で生きられる世界をつくることでした。

戦争や分断、対立の現実を目の当たりにしながらも、
「人類は一つの家族になれる」という希望を手放さず、
自分自身の幸せだけではなく、世界の平和と人々の幸福のために歩み続けてきたのです。

<写真:ガーナの孤児院での韓総裁>

そこにこそ、韓鶴子総裁という一人の女性を理解するうえで、
大切な姿があるのではないかと思います。

しかし、その人生は決して平坦なものではありませんでした。

家庭を守る母としての責任、宗教指導者として背負った重圧、
社会からの反対や批判、理解されない苦しみや孤独――。

それでも、韓総裁は歩みを止めませんでした。

では、何が彼女を支え、歩き続ける力となったのでしょうか。

その答えの一つが、天一国経典『真の父母経』に記されています。

「不屈の信仰と決意と忍耐」

その中で、私が特に心を打たれたのが、『真の父母経』200頁に記されたこの言葉です。

「私に必要だったのは、真に朽ちることのない不屈の信仰と決意と忍耐であり、
それが今日の私自身をつくりあげたと言えます。」

「何が今日の自分を作ったのか」と振り返ったとき、
韓総裁が挙げたのは、地位でも名誉でも才能でもありませんでした。

信仰、決意、そして忍耐。

それも、ただ苦難が過ぎ去るのを待つ忍耐ではありません。

苦難の中にあっても、自分が正しいと信じた道を決して諦めず、
一歩ずつ歩き続ける忍耐でした。

83歳となった今も、
「私は命尽きるその日まで、この目標のために最善を尽くし、
どこにいようとも歩み続けてまいります。」と韓総裁は語っています。


病院で控訴審に臨もうとしている韓総裁の姿を見ながら、
改めてその言葉の重みを感じます。

これは、順調な人生を歩んできた人の言葉ではありません。

信仰がある人にも、ない人にも

この言葉は、宗教や信仰の有無を超えて、
私たちすべての人生に通じるものがあります。

人生には、誰も「もう無理だ」と思う日があります。

病気、家族の問題、人間関係、仕事の失敗、大切な人との別れ――。

どれほど努力しても、すぐには答えが出ないこともあります。
そんな時、人を支えるのは、必ずしも特別な才能や強さではなく、

「それでも、もう一日歩いてみよう」と忍耐する心です。

苦難を「喜び」に変えていく

さらに印象的なのは、韓総裁が苦難を、
ただ耐えるだけのものとして語っていないことです。

苦しい出来事に直面したとき、それをどのように克服し、
やがて「喜び」へと転換していくのか。

過去の苦しみそのものを消すことはできません。

しかし、その経験を通して人の痛みが分かり、忍耐する力が育ちます。
誰かを包み込める人間になることもできます。

苦難そのものが人を偉大にするのではないと思います。

苦難にどう向き合い、そこからどのような人間になっていくのか。
そこに大切な意味があるのではないでしょうか。

「真の母」「平和の母」と呼ばれる一人の女性

韓鶴子総裁が「真のお母様」「平和の母」と呼ばれる背景には、意味があります。

しかし、その呼び名を知らない方にも、まず知っていただきたいことがあります。

韓総裁は、ただ数々の苦難に耐えてきた女性だということではありません。

その苦難の中にあっても、韓総裁が長い人生を通して願い続けてきたのは――

国や人種、民族、宗教の違いを超えて、
世界の人々が一つの家族のように互いを愛し、支え合う。
平和と幸福の中で生きられる世界をつくることでした。

戦争や分断、対立の現実を目の当たりにしながらも、
「人類は一つの家族になれる」と。
その理想を世界各地で訴え続けてきました。

自分自身の幸せだけではなく、
世界の平和と人々の幸福のために生涯を歩み続けてきた。

そこに、韓鶴子総裁の真の姿があるのではないかと思います。

そして、自らの人生を支えてきたものを、彼女自身はこう表現していました。

不屈の信仰。
揺るがない決意。
そして、忍耐。

人生は、順風満帆な時だけでつくられるものではありません。

むしろ、
「もう歩けない」と思ったその場所から、もう一歩を踏み出した。

その一歩一歩の積み重ねが、十年後、二十年後の自分をつくっているのかもしれません。

『真の父母経』に著わされた言葉は、
私たち一人ひとりにも問いかけているように思います。

あなたをつくり上げるものは、今の苦難そのものではない。
その苦難の中で、何を信じ、何を決意し、そして、どのように歩き続けるかなのだ
――と。

<自叙伝>


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