ある日、30代半ばの韓国人男性が相談に来ました。
彼は深刻な顔ではなく、むしろ嬉しそうな表情で・・・
「自分はもっと人格を成長させたい」と言いました。
彼は会社を3カ月ほど休み、お寺や山に籠って修行をしたいという願望を持っており、
彼の考えでは、こうした修行によって自分が変われば、妻や子供、そして会社にとっても
プラスになると確信していました。
「自分の一生のうちに3カ月は価値あることだと思います」と彼は強く言いました。
韓国では、一般の人々もお寺に籠って修行をすることがあり、
受験勉強などをするためにそのような環境を選ぶ人も多いそうです。
私はその話を聞き、「なるほど、素晴らしいですね」と返しましたが、
彼の言いたいことがよくわかる反面、少し疑問がありました。
日本でその修行を行いたいと言う彼の計画にはまだ解決すべき課題がいくつかありました。
まず、会社はその長期の休暇を許可するのか、そして妻はどう思っているのか。
彼は続けて言いました。
「妻は反対です。会社にはこれから相談します。このことでもし会社を首になったら、
それも私の人生ですから…」。
この言葉を聞いたとき、彼の決意が石のように固く、ただ私に同意を求めているか、
単に話を聞いてほしいだけなのだと感じました。
彼の話を聞きながら、「人格の成長、心の成長」という彼の目標が本当に山やお寺に
籠ることで成し遂げられるのか・・・。
確かに、山に籠って一人で修行に励むことは仙人のように見えますが、
実際にそれが彼の求める成長につながるのかは別の問題です。
家庭は愛の学校であり、最高の愛の訓練所でもあるといいます。
家庭は人作りの基礎がなされる場所であり、夫婦は互いの人格成長に責任を持っています。
互いにぶつかり合い、擦れ合うことで、丸く磨かれていくのです。
金平糖が缶の中でぶつかり合いながら丸くなるように、夫婦もまた家庭生活の中で磨かれて
いきます。
彼が追求する「人格の成長」は、単なる自己修養にとどまらず、家族や職場、社会との関係性の中でこそ本当の意味で成し遂げられるものではないかと思います。
もちろん、一人で山に籠って得られる成長もあるかもしれませんが、
家庭という「愛の訓練所」での日々の生活の中で磨かれる人格こそ、
真の成長につながるのではないかと思います。
彼の決意は尊重すべきものですが、成長の場として家庭を再評価し、
家族との絆を深めながら、自身の成長を目指すことが、最終的には彼が求める
「すべての幸せ」につながるのではないかと思います。