「ダークツーリズム」この言葉は一般的ではないかもしれませんが、
旅行会社の「クラブツーリズム」とは異なります。
どのような意味なのでしょうか。
ダークツーリズムは、災害被災地や戦争跡地など、
人類の死や悲しみに関連する場所を訪れる観光活動を指します。
ブラックツーリズムや悲しみのツーリズムとも称され、
1990年代後半にイギリスの学者によって提唱されました。
この観光は死者を追悼し、悲しみを共有することを目的としていますが、
その解釈や捉え方には多様性があります。
22日、仙台の慈眼寺をお訪ねした帰り道。
東北自動車道を東京に向かって走っている途中で
3・11の東日本大震災を被った地域を
走って帰りたいと娘が提案しました。
それには意味があるということで、東北自動車道から常磐自動車道へと進路を変更し、
相馬ICから常磐道を南へと向かいました。
すると・・・
見慣れない驚きの光景をたくさん見ました。
まず、高速道路脇の見慣れない看板。
常磐道だけに設置されているという「線量表示板」
<線量表示板:画像はお借りしました>
この電光表示板は、南相馬ICから広野ICの間の9箇所に設置され、
リアルタイムで放射線量を表示しています。
表示される単位はμSv(マイクロシーベルト/時)で、
これは人が受ける放射線の被ばく量を示す単位だそうです。
一番最初に見た南相馬地域の線量は、0.2 μSv(マイクロシーベルト/時)。
ところが福島第一原発に向かうと値がしだいに上昇していきます。
福島第一原発の付近に設置された線量表示板は、
この22日には、4.0 μSvを表示していました。
この地点が最高値でした。
常磐富岡ICと浪江IC間の約14kmの区間は、
放射能汚染により「帰宅困難区域」とされているようです。
車窓から見える田畑は雑草に覆われ、荒れ果てています。
崩れかけた瓦屋根やひび割れた土壁の家々が目に映ります。
ここは12年間も人が住むことのない無人地域です。
まだ帰宅できずにいる人々が多くいるのでしょう。
3・11の大震災と原発事故は深い傷跡を残しました。
余談ですが・・・
地球上には「今後2万年は住めない」と言われている場所が存在します。
それは1986年のチェルノブイリ原発事故によって悲劇に見舞われたウクライナのプリピャチです。
この地域は人間が住むには安全ではないとされています。
<ゴーストタウンとなったプリピャチ:2012年の様子>
そして、常磐道沿いにもう一つ見慣れない光景は・・・
道路脇のいたるところに整然と並んだ黒い太陽光パネル。
農地や山林にできた大規模な太陽光発電所のようです。
元々は緑豊かな平野や田園地帯でしょうが、今は黒いパネルで全てが覆われています。
常磐自動車道は2015年に全線が開通しました。
片側1車線で対面通行の区間もあるこの道路は、
多くの人々を救助するのに役立ったとされています。
東北地方の一部では、依然として困難に直面しながらも、
復旧と復興に向けた様々な取り組みが進行中です。
また、復興への希望の兆しも見られる地域であると言えます。
<太陽光パネル:画像はお借りしました>
ところで・・・
時を同じくして、日本国内で「ダークツーリズム」を経験していた人たちがいました。
「G7広島サミット」が広島で開催されました。
5月19日から21日にかけて、G7の7カ国の首脳たちは一堂に会し、
共に原爆資料館を訪れ、平和記念公園内の原爆慰霊碑に花を捧げ、祈りをささげました。
ウクライナのゼレンスキー大統領も、これに続いて原爆資料館を訪問しました。
広島で開催されたサミットにおいて、
G7首脳は「核兵器のない世界」への取り組みを確認し、
「広島ビジョン」と呼ばれる核軍縮に焦点を当てた声明を発表したと、岸田総理が総括しました。
世界各国の首脳たちが経験した「ダークツーリズム」において、
彼らの心を動かしたものは何だったのでしょうか。
広島のダークツーリズムは、将来的に世界にどのような影響を与えるでしょうか。
「ダークツーリズム」の代表的な場所
原爆ドーム・原爆資料館
広島・長崎の平和公園
沖縄平和祈念公園
東日本大震災の被災地
キリシタン弾圧の史跡 他
海外で有名な場所は・・・
アウシュヴィッツ強制収容所
グラウンド・ゼロ
カタコンベ
イタリアのポンペイ 他
ダークツーリズムは、戦争や人的災害の悲劇や「闇」「影」に焦点を当てることで、
その恐ろしさを知り、悲しみや痛みを共有します。
これにより、魂が揺さぶられ、人生観が変わることがあります。
また、未来で同じ過ちを繰り返さないための学びや祈りの場ともなるのです。
広島と長崎の爆心地を「平和公園」と称するように、
「ダークツーリズム」や「ブラックツーリズム」ではなく、
「ピースツーリズム」と呼ぶ動きがあるようです。