「私たちの人生はすべて修行である」
「謙虚と素直は人生の宝」
「人のためが自分の為になる」
これは塩沼亮潤大阿闍梨さんの名言です。
5月21日・・・
仙台市秋保の慈眼寺をお訪ねし
塩沼亮潤大阿闍梨さんにお会いしてきました。
塩沼亮潤大阿闍梨さんは、
「大峯千日回峰行と四無行」
と言う、過酷な修行を1999年に満行されました。
1300年の歴史の中で二人目となる大阿闍梨。
2003年には、仙台市秋保に「慈眼寺(じげんじ)」を開山。
現在は、ラジオ放送番組、YouTube、各種の講演会などでも活躍中。
多数の著書を出版。
5月2日のNHKBSでも
『大峯千日回峰行』の塩沼亮潤大阿闍梨が再放送されました。
過去のブログでは、亮潤さんとお母様について書いています。
とても温かい、今時の気さくで素敵な人気のお坊様です。
かねてより、直接お目にかかりたいと思っていました。
5月21日の「護摩修法」には是非参加しようと・・・
ところが・・・
ネット予約をしようとしたら既に満席で終了。
そのため・・・
当日の9時からの現地受付になってしまいました。
私達夫婦と娘達や孫たちの総勢7人で、
21日、真夜中の0時に東京を出発。
東北自動車道をまっすぐ北へ車を走らせて朝を迎え、
朝7時には慈眼寺(じげんじ)に到着しました。
仙台市秋保(あきう)の豊かな自然の中の閑静なお寺。
霊験あらたかなたたずまい。
丁寧に手入れされた美しい庭園と境内。
様々な花が咲き、鳥がさえずっていました。
<200台の駐車場:この時間、誰も来ていません>
<本堂>
境内を走る回る、孫たちのはしゃき回る声。
かなり気になりますが、
鳥のさえずりと共に、明るい朝の活気を感じさせました。
(本当は早朝の迷惑行為かも・・・😓)
朝のお掃除や準備をされていた作務衣のお坊様たちとも
気軽にお話しながら、
御守授与所の前にて9時の受付開始を待ちます。
待つこと1時間半・・・
しだいに人が集まって来て列ができました。
先着受付1番で、本堂1番から7番の座席札を頂きました。
これで、護摩堂で行う「護摩俢法」の様子を
本堂のモニターで観ることができます。
まずは一安心。
御守授与所にて「特別祈祷申し込み」をして、
御朱印をお願いしました。
日めくりカレンダーも購入。
娘たちも、祈願の護摩木を書きました。
<サイン入り日めくりカレンダー>
<ご朱印帳>
<慈眼寺の入口にある看板:番組やイベントお知らせ>
13時開始の「護摩修法」まで時間があるため
近くの「秋保大滝」を散策しました。
秋保大滝は落差55m、幅6mで流れ落ちる、
日本の滝百選にも数えられています。
華厳の滝(栃木県)、那智の滝(和歌山県)にならぶ
日本三大名瀑(にほんさんだいめいばく)の一つだそうです。
大きな音で滝壺に流れ落ちる水のしぶきはマイナスイオンたっぷり。
立ち上る水しぶきによって苔や周りの植物が生き生きしています。
<滝壺から見た秋保大滝>
<滝美台から見下ろした秋保大滝>
<お魚やサンショウウオはいるかな~~>
さて・・・
12時半に再び慈眼寺に戻り、
13時から本堂にて「護摩修法」に参加です。
護摩堂では、連打される太鼓の音と読経の壮厳な中で
亮潤大阿闍梨が護摩壇の炎の中に護摩木を投じます。
厄や災いを払い、願い事を清め、
成就することを祈祷してくださいました。
40分間の護摩炊きとご法話で終了。
<堂内は撮影禁止となっていたため、画像はお借りしました↓↓ >
帰り際に「御祈祷木札」と「うで輪念珠」をいただきました。
お会いした塩沼亮潤大阿闍梨さんの印象は・・・
秋保の清らかな美しい大自然が育んだ、
名取川で見つけた輝く清い石(珠)のようでした。
自らが日々有言実行し精進されていらっしゃる故
神様や仏さまから愛され、ご加護のある方なのでしょう。
きょう5月26日の亮潤さんの「日めくりカレンダー」の名言は
「常に謙虚な心でいること。そして感謝・反省・敬意の気持ちを持つこと」
【参考】
~大峯千日回峰行・四無行・慈眼寺とは~
塩沼亮潤大阿闍梨が
1991年から入行、1999年に大峯千日回峰行を成満した。
翌年2000年に9日間の四無行を満行した後、
故郷である仙台・秋保の地に慈眼寺を開山されました。
1991年から入行、1999年に大峯千日回峰行を成満した。
翌年2000年に9日間の四無行を満行した後、
故郷である仙台・秋保の地に慈眼寺を開山されました。
大峯千日回峰行
標高差1355mの厳しい山道を、
毎日、往復48Kmを16時間かけて9年間歩き続ける。
毎日、往復48Kmを16時間かけて9年間歩き続ける。
四無行
9日間、飲まず・食べず・寝ず・横にならずの過酷な行。
ひとたび行に入ったら投げ出すことは許されず、
無理だと判断した時には、
自害を持って終えるという過酷な行。
ひとたび行に入ったら投げ出すことは許されず、
無理だと判断した時には、
自害を持って終えるという過酷な行。
成し遂げた者は1300年の歴史上でたった二人しかいない。
<慈眼寺パンフレット:塩沼亮潤大阿闍梨>