私には「どんなものでも喜んで受け取る大切さ」を経験した、忘れられない出来事があります。
それは、娘がまだ学生だった頃のことです。
ある日、私の誕生日に娘が大きな花束をプレゼントしてくれました。
それは、片手では持ちきれないほどの見事なバラの花束で、
まさに私の好みにぴったりの花束でした。
娘は「いつも何もしてあげられないから…、少し高かったけど」と言いながら、
嬉しそうに私に花束を手渡してくれました。
その瞬間、私は心から喜びを感じるべきでした。
しかし、喜び以上に、彼女がアルバイトで得たわずかな給料から、
こんなに高価なものを買ってくれたことに対して「もったいない」と思ってしまったのです。
私は「ありがとう!」と言いましたが・・・
しばらくして、「もったいないね、貯金した方が良かったのに…」と口走ってしまったのです。
すると・・・
娘は突然、花瓶に飾られた花を掴み、私の目の前で床に投げつけました。
花びらや折れた茎が床一面に散らばりました。
その光景を前に、私は言葉を失い、しばらくただ呆然としていました。
床に散らばった花を一つ一つ拾い上げると、涙が頬を伝い落ちるのを感じました。
私の一言が娘の心を傷つけ、せっかくの記念日を台無しにしてしまった自分の無神経さに気付きました。
数日間、娘との間には気まずい雰囲気が続きました。
最終的に「ごめんなさい」と謝るまで、私は自分の非を認めるのに時間がかかりました。
この出来事を通して、私は「喜んで受け取ること」の大切さを学びました。
『神は、喜んで与える人だけでなく、喜んで受け取る人も愛される』と、
いう言葉を耳にするたび、あの時のことが頭をよぎります。
人は何かを与えることで喜びを感じますが、
喜んで受け取ることも同じように相手を喜ばせる行為です。
たとえどんなものでも素直に受け取れますか。
ー例えば私が過去にいただいた意外なものはー
幼い孫が作った泥のお饅頭・・・
サイズの合わない洋服・・・
使い古したお鍋やフライパン・・・
与えられることを素直に受け入れ、その喜びを共有することが、
相手に対する最高の感謝の表現であると今は信じています。
あの時、娘の気持ちをもっと大切にしていればと悔やみますが、
その経験があったからこそ、今の私があるのだと、娘に感謝しています。