さまざまなアクシデントを乗り越えて—2024年9月10日、富士山開山最終日に挑んだ私たちの登山物語
今年の富士山登山は、思いがけない試練の連続でした。富士山のシーズン終盤、2024年9月10日、私たち夫婦は「三度目の正直」とばかりに、日本最高峰への挑戦を決意しました。
しかし、富士登山初心者の私たちには、まさに過酷な挑戦が待ち受けていました。
今年から、吉田ルートには新たな規制が導入され、弾丸登山が禁止となりましたが、今シーズンだけで5人もの登山者が命を落としたという事実を知り、富士登山の厳しさを改めて実感しました。
その一方で、101歳の五十嵐貞一さんが最年長での登頂記録を更新したニュースにも感銘を受け、年齢を超えた挑戦に勇気をもらいました。
当初予定していた私達30人の団体ツアーは台風の影響でキャンセルとなり、夫婦二人での挑戦を余儀なくされましたが、最終的に友人の女性二人が加わり、私たち4人は富士山頂を目指すことになりました。年齢は50代から70代後半、経験者はたった一人。
若者に混じりつつも、私たちは「今年の最後の挑戦」と心に決め、登山をスタートさせました。
吉田ルートを案内してくれたのは、ベテランの女性ガイドさん。彼女の後ろをピッタリとついて、私たちは7合目を過ぎ、次第に険しくなる岩山へと挑んでいきました。私の息使いを感じてガイドさんが何度も呼吸法をアドバイスしてくれました。しかし、ふと振り返り、私にこう言いました。
「これから先、この荷物を背負っては登れません。私が背負います。」
「いいえ、大丈夫です!」と強がったものの、私はすでに全体のペースを落としていたようでした。
彼女は平然と私の荷物を自分の荷に重ね、さらにアドバイスをくれながら全体を引っ張って先頭を進みます。私は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、そのプロフェッショナルな姿勢に、胸が熱くなりました。
<私の荷物も背負って先頭を進むガイドさん:3150M付近>
ところが、3200mを目前に、夫が高山病の初期症状である頭痛に苦しみ始めました。
後ろを振り返ると、彼は立ち止まり、遥か後方にポツンと佇んでいます。
私以上に重い荷物を背負って立ち尽くす夫の背後には、壮大な景色が広がっていました。
もう少しというところで、まさか、これが私たち夫婦の限界なのかと…。
すると・・・
「頑張って~~」という声がどこからかしました。
見上げると既に山小屋に到着した友人とガイドさんが私たちに手を振っていました。
夫の後ろから登って来る人はひとりもいません。私たちが今シーズン最後の登山者なのか・・・。
<高山病の初期症状で苦しみながら登る夫>
<到着した山小屋の白雲荘からの景色・PM6時>
18時、ついに宿泊先である白雲荘に到着。予定より30分遅れての到着でした。夕食を取りながら、翌日の登山計画についてガイドさんから説明を受けましたが、私たち夫婦に対する提案は意外なものでした。
「山頂には登らず、ここでご来光を見てから下山された方が良いかと思います」
友人たちは私の荷物を分け持つ提案をしてくれましたが、ガイドさんの判断は明確でした。翌日11日には富士山が閉山し、山小屋も閉鎖されるため、無理をして登頂するリスクは避けるべきだというのです。
「離団願い」サインし、私たちの登頂はここで終わります。
頂上への挑戦を諦めることに、一抹の残念さを覚えましたが、同時にホッとした自分がいたのも事実でした。山頂を目指す友人たちに託したフラッグに、私たちの思いを込めてバトンを渡すような気持ちで二人に託しました。
夜中1時、友人たちは山頂を目指して出発していきました。何故か、興奮して眠れない私たちは、ご来光の時を待ちました。
<山小屋白雲荘から見る下界の夜景>
そして、迎えた5時15分。
白雲荘から見る富士山のご来光は、息を飲むほどの美しさでした。
山頂からの「バンザーイ!」という声が遠くから響き、私たちはその瞬間、仲間が日本の最高峰の剣が峰(3776M)に立っていることを確信しました。
<山小屋白雲荘(3200M)からのご来光:AM5:15>
<友人が撮影 山頂の剣が峰からの日の出 AM5時15分>
<友人が撮影:富士山の影>
「今シーズン最高のご来光だ!」と、山小屋のご主人が言いました。
確かに、誰もがその壮大な光景に感動していました。
私たちはその瞬間を心に刻み、カメラにも収めましたが、写真では伝えきれない感動がそこにありました。富士山が見せてくれた最高の景色に、ただただ感謝です。
6時から夫婦2人で下山を開始し、ザレ場が続く下山道は滑りやすく慎重に降りながらも、見下ろす景色は絶景そのものでした。山中湖や相模湾が遠くに霞んで見え、ほとんど下山者もなく、朝の静寂の中での下山はまるで壮大な空中を夫婦で舞い降りるかのようでした。
<宿泊した白雲荘が眼下に見えます:AM6時下山開始>
<六合目安全指導センターからの眺め 写真中央は山中湖>
<山頂に雲がかかってきました>
<5合目の登山口に無事到着:AM9時>
無事に五合目に戻り、みんなが戻って来るまで富士山登山の締めくくりとして、「富士山大社」でご朱印をいただき、さらに富士簡易郵便局から絵葉書を投函しました。
山頂の神社も郵便局も既に閉鎖しており、山頂で出来なかった願いを5合目で果たすことができました。
今回の登山を通じて、私たちは多くの学びを得ました。
特に、私の荷物を背負ってくれたガイドさんと、チリ~ンチリ~ンと熊よけの鈴を鳴らして、私たち夫婦を困難な場面で常に見守っていてくれた修験者のような男性ガイドさん、その二人のプロフェッショナルな姿勢に心から感動しました。
おそらく、この二人のガイドさんのことは一生忘れることはないでしょう。
残念ながら富士山の山頂には立てませんでしたが、支えられ、助けられた登山で、決して一人では何事も成し遂げられないのだということを改めて感じました。
また、富士山の偉大さと厳しさも、ただ遠くから眺めているだけでは理解できないものだと実感しました。実際に登ってみて初めてわかる苦しみや喜び、そのすべてが富士山に挑んだ者にしか得られない貴重な体験だったのです。
これは困難な人生を歩む教訓にも似ています。
娘から「来年、リベンジしたら?」と言われましたが、友人たちはもう登らないと言いました。「今回の富士山が最高すぎて、次はこれ以上のものは望めないかもしれない」というのがその理由です。
富士山は、私たちにとって一生忘れられない試練と大きな喜びを与えてくれました。
頂上には到達できませんでしたが、それでも得られたものは計り知れないものがありました。