夫婦愛とは互いに見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめること?

家庭は愛の学校

日常の中でふと目にする光景が、私たちに意外な洞察を与えることがあります。
たとえば、レストランで仲睦まじく食事をする高齢者のカップルを見て、「あんな風に歳をとっても恋人のように仲良く食事したいね」と言ったら、実は、夫婦ではなく、恋人同士だったということがあります。

最近、同じように年齢を重ねた夫婦の風景が気になるようになりました。
ある夫婦は黙って食事をし、ある夫婦は、別々に食事をし一緒に食事はしない。
また、乗り物の中でも楽しそうに話す高齢者の男女を見ると、それは友人か恋人である可能性が高く、黙っている二人が実は長年連れ添った夫婦だということがあります。

このような観察は、「なるほど」と思わせるもので、私たち夫婦にも似ています。

特に、長い年月を共に過ごした夫婦にとっては、時には会話よりも沈黙が心地よい場合もあり、
私たちの場合、耳も悪くなり、レストランでの会話は控え、外食はむしろ二人で食事も雰囲気を楽しむ時間なのです。

夫が退職して変わったことは、どこでも、いつでも私達夫婦は一緒。  
だから「金魚の糞」だとよく言われます。  どちらが金魚でどちらが糞? 
実はお互いが時には金魚になったり糞になったり・・・。  

趣味が違い、生活のペースが異なっていても、共にいる時間が増えると、お互いを尊重し合う関係こそが本当の意味での「仲の良さ」かもしれません。

ある日こんなことがありました。
散歩中に珍しい花を見つけ、ああだこうだとスマホで写真を撮っていました。
その様子を見ていた見知らぬ婦人が「いいですね~、夫婦で散歩しお花観賞ができるなんて・・・ 私の夫とは散歩にならないんです。 夫は散歩中に怒るし、一人でどこかに行ってしまうの」と言いました。

『星の王子さま』の著者、サン=テグジュペリの言葉を思い出しました。
「愛とは見つめ合うことではなく、共に同じ方向を見つめること」と、あります。
愛とはお互いが見つめ合うだけでなく、相手の立場や気持ちを理解し共感し、 共通の夢や目標に向かって共に進む努力をすることだといいます。

夫婦でも恋人でも、互いに見つめ合う姿は、微笑ましく見えますが、実はそうではないことも・・・。
「あばたもえくぼ」恋人同士で、結婚したらと「あばたはあばた」になります(笑)。


愛とは、お互いの欠点に目を向けることではなく、共に同じ未来や夢を見つめること。

年齢を重ねた夫婦でも若い夫婦でも・・・あるいは、恋人同士でも、愛は互いを見つめ合うだけでなく、もっと遠くの共通の夢や目標に向かって歩むことなのです。

<ミーアキャットの動画おかりしました:みんなどこを見ているの?>

人生の後半、年を取ったら自分の足元や目の前の心配事を見ない、もっと広い視野で子供たちや孫たちの未来や、遙か遠くの世界や国を見つめ幸福と平和を祈りましょう。
これこそが最高の健康と幸せ(健幸)の秘訣なのかもしれませんね。

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