2011年東日本大震災で陸前高田市の「奇跡の一本松」は、
多くの人々に希望と感動を与えました。
また、同じように100年前・・・
大正12年9月におきた関東大震災でも、
一本の樹が希望の灯を灯しました。
1923年(大正12年)9月1日、
甚大な被害をもたらした関東大震災で
東京は三日間燃え続けて7万人に及ぶ死者の多くが、
火災によって亡くなったといわれます。
都心は一面焼け野原。
ところがなんと・・・
現在の千代田区の一ツ橋の辺りで、一本の銀杏の木が、
幹の一部が黒く焦げながらも奇跡的に生き延びたのです。
周囲の樹木はほぼ全部焼失。
以降、この銀杏の木を「震災いちょう」と呼び
復興のシンボルとして注目を集めました。
この黒焦げになった「震災いちょう」から、
翌春、新しい芽が吹き出し「関東大震災の奇跡」だと、
その生命力の強さが伝えられました。
震災で失意のどん底にいた人々は、
「震災に負けてはいけない」「逆境に立ち向かう」という
強いメッセージを受け、生きる勇気と明日への希望を得て、
復興に立ち上がっていきました。
ところが、その後の復興事業で切り倒されることになり、
それを知った気象庁の前身の中央気象台の台長 岡田武松氏は
「この樹をなんとか後世に残したい」
と訴えました。
<「震災いちょう」保存に尽力した岡田武松氏 >
岡田氏は、若き日に「気象による災害を防ぎたい」と気象学者を志し、
今日の天気予報の礎を築き”日本近代気象学の父”と称されますが、
「災害を風化させてはならない」というその訴えのお蔭で、
奇跡のイチョウの木は保存が決まったのです。
そして、奇跡のイチョウ「震災いちょう」は、
一ツ橋から、中央気象台のすぐ近くの現在地、
皇居・大手門のお濠端に植え替えられました。
100年経った今も東京都民に親しまれています。
植樹は1860年ごろで、現在の樹齢は約150年とされています。
東京の銀杏の色づきを見る”標本木”として、
毎年、気象庁が観察を続けています。
「震災いちょう」の幹は周囲約3.6mの巨木。
今でもその幹の1/3に大きな焼け跡が残り、
焼け跡の表面は幹が腐りや枯れを防ぐため、
樹木医によって樹脂加工が施されています。
<”震災いちょう”:防災システム研究所よりお借りしました>
”震災いちょう”の木陰で休んでいた人は・・・
「この樹の下にいるとほっとする、心と体が癒される」
「元気をもらえる」と話したそうです。
100年経た今でも枝葉を茂らせ、木陰を作り
いつでも誰でも、すべてを受け容れ、
慰め、励まし、癒しのオーラを放つ”震災いちょう”は母のような巨木なのです。
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一方・・・
2011年、東日本大震災の陸前高田市にある「奇跡の一本松」は・・・
樹齢173年、高さ27.5mもある奇跡の松。
長い間海水に浸かっていたため、
残念ながら、1年後の2012年5月に枯死が確認されました。
<『奇跡の一本松』のシンボル>
しかし・・・
復興の最中「希望と鎮魂の象徴」として保存されることになったのです。
2012年9月に、いったんこの木は分割して伐採され
強化樹脂の棒を入れ防腐処理を施し、枝と葉は特殊な樹脂で再現し、
2013年にモニュメントとして復元されました。
現在も、あの姿で昔と同じ場所に堂々たる姿で立っています。
また、「奇跡の一本松」の命を継ぐ二世松は、
松ぼっくりから採取した種や枝の接木による
後継樹の育成プロジェクトによって、
奇跡的に12本に命がリレーされたそうです。
成長した二世松の3本は陸前高田に、
他9本は各地に植うえられ元気に成長しているそうです。
ところが・・・
何者かによって切断されてしまった二世松もあるとか・・・(;д;)
また一方・・・
「奇跡の一本松」の根は、現在は分割されて保管されており、
2022年3月に東京都で特別展示され話題になりました。
<2022年に展示された「奇跡の一本松」の根:写真は産経ニュースより>
今年元旦・・・
能登半島地震でもたくさんの方が被災しました。
少しずつ復興がなされていますが、
「奇跡の一本松」や「震災いちょう」の大樹のごとく、
早く復興が進み安心して暮らせますように・・・
強くたくましく生きていけますように・・・
参考:
・東京新聞
・防災システム研究所
・産経ニュース
・東京新聞
・防災システム研究所
・産経ニュース