こんにちは~
前回に記事に関連した内容で、褒められたとき・叱られたときの受けとめ方についてみていきます。
日々の暮らしの中で、私たちは誰かに「褒められること」や「叱られること」があります。
褒められたり叱られたときどう応えるか──実はそこに、人としての器や人間性が現れると言います。
孫たちに接していると成長段階や個性に応じて様々な反応を示します。
ここでは、一般的に褒められたとき・叱られたときの「三流・二流・一流」の違いを整理してみましょう。
◆ 褒められたときの受けとめ方
三流:うぬぼれる・調子に乗る
褒めてもらえたことが嬉しくて、つい気持ちが大きくなってしまう。
「自分ってすごいかも」と舞い上がってしまうこともあります。
でも、それは人として自然な反応。
大切なのは、「調子に乗りすぎない」ことに気づくことです。
二流:謙遜する・遠慮しすぎてしまう
「いえいえ、私なんて……」と謙遜しすぎてしまう人もいます。
日本人らしい美徳ですが、謙遜も過ぎれば傲慢(謙遜傲慢)に見えます。
褒めてくれた方の好意を否定してしまうことにもなります。
さらに、「もっと頑張らなきゃ」と肩に力が入ってしまうこともにもなります。
一流:感謝の気持ちを込めて「ありがとうございます」
素直に「ありがとうございます」と微笑んで受けとめることができる。
そんな人は、周りに心地よい空気を届けながら、自分の良さも自然に伸ばしていけます。
誇らず、へりくだらず、ただ感謝で応える——その姿に、品格がにじみ出ます。
◆ 叱られたときの受けとめ方
三流:感情的になってしまう(怒る・逆ギレ・言い訳・ふてくされ)
叱られたときに、言い訳したり、他の人や状況のせいにしたくなります。でもそれは、傷ついた自分を守ろうとする防衛反応でもあります。
まずは、「自分を責めすぎない」ことから始めたいですね。
二流:反省しすぎて落ち込みやすい
真面目で責任感がある人ほど、叱られると深く反省し、自分を責めてしまいがちです。
「私はダメだ……」と落ち込みすぎて、次に踏み出せなくなってしまうことも。
でも、反省できる心は尊いこと。その優しさを、ぜひ自分にも向けてあげたいですね。
一流:感謝の気持ちで受けとめ、前進する
「教えていただいてありがとうございます」
そう言える人は、叱られた言葉を「磨かれるきっかけ」として受けとめています。
自分を否定するのではなく、「より良くなるためのヒント」として受け止め、静かに改善を始めます。この柔らかさとしなやかさが、一流の人の特長です。
◆ ブッダの教えにある「言われやすい人」
仏陀は「言われやすい人になりなさい」「言ってもらえる人になれ」と教えたそうです。
これは、叱られたり褒められたりすることを、素直と感謝で受けとめる人こそ、周りに愛され、やがて大きく育っていくという意味です。
実際、周囲の人も「この人なら言ってもきっと大丈夫」と感じると、安心して良い言葉も厳しい言葉も届けてくれるようになります。
こうした信頼の循環こそが、人間としての器を育てていくのでしょう。
◆弱き立場の人には叱るより寄り添うこと
但し、幼い子供や高齢者、病気や障がいを抱える人など、心身がまだ十分でなかったり、弱さを抱えていたりする立場の人たちに対しては、「叱る」という行為そのものが、本当に必要なのかどうか、私は日々考えさせられることがあります。
叱責は時として、相手の心を傷つけたり、自己肯定感を下げてしまったりすることがあります。特に、まだ物事の善し悪しを理解しきれない幼い子供や、心身が衰えてきた高齢者、体調や精神が不安定な病者にとっては、厳しい言葉よりも、まずは安心感と尊重のまなざしが必要だと思うのです。
そうした人々には、失敗や戸惑いがあっても、それを責めるのではなく、小さな努力や前進を見つけて「よくがんばったね」「大丈夫だよ」と優しく認め、励ましていくことが、何よりも力になるのではないでしょうか。
叱る代わりに、寄り添う言葉と温かな態度が、相手の心に希望と勇気を灯し、自然と次の一歩を踏み出す力になる――私はそのように感じています。
◆ 最後に
どんな人にも、成長の余地があり、温かく受けとめてくれる誰かがいます。
褒められても叱られても、すべてを「自分を育てる言葉」として受け取れ、
「ありがとうございます」と素直に受けとめることは、勇気がいることです、心がしなやかであればあるほど、伸びる人です。
参考:
・『一流の人はなぜ「感謝」を忘れないのか』:藤尾秀昭(致知出版社・編集長)
・ブッダが説いた「一流のスマートな返し文句」:大愚元勝(プレジデントオンライン)
