不幸か幸せか?~認知症~

愛をもって
「迎えに来て、私を置いて行かないで・・・」
介護施設グループホームに入所している
91歳の母からの電話であった。
 
前日、母に面会したばかりなのに、
母は置いて行かれたと言って、駄々をこね、
施設のスタッフさんを困らせたらしい。
 
「お母さん! 明日必ず迎えに行くね、待っていてね」
こんな言葉で、母の不安はとりあえず収まった。
 
次の日、こっそり母の様子を見に行ったが、
落ち着いたとのことで、母には会わずに帰ってきた。
 
施設のスタッフの皆様のご苦労は計り知れない。
とにかく感謝しかありません。
 
 
井上貴裕医師(一心病院 精神科・心療内科)が
認知症について、こんなお話しをされています。
(「認知症でも幸せになれる」Sunday世界日報より)
 
************
 
以前、見学に行った高齢者のグループホームでの出来事でした。
その施設の利用者さんは他の施設の方と比較し、
明らかに表情が明るかったのです。
その理由を施設長さんに尋ねたところ、
「ここの施設では、何をしても『ありがとう』と言っている」
とのことでした。
 
良いことをして「ありがとう」というのは当たり前ですが、
その施設では、ご飯をこぼしても、
他の利用者さんと喧嘩しても、トイレの失敗をしても
「ありがとう」ということを徹底していたそうです。
 
認知症になってしまった方はもし間違ったことをして、
他人から正しいことを教えられても、それは理解できません。
 
もし怒られてもそこから学ぶことはなく
「怒られた」という悲しい感情だけが残ってしまいます。
 
では逆に間違ったことをしたときに
「ありがとう」と言われてしまったら
正しいことをしたと思い、
間違いを助長してしまうのではないかと
いう意見もあると思います。
 
しかし認知症の方は「ありがとう」と言われたからと言って、
間違った学習をすることもなく、
「嬉しい」という感情だけが残るのです。
 
そのように何をされても「ありがとう」を徹底することで、
表情が穏やかになり精神的に安定してくるため、
最終的に怒りっぽさや問題行動は減っていくとのことでした。
 
“font-size: x-large;”>認知機能が低下してしまった状態で、
さまざまなことが理解できなくなってしまっても、
優しくされると嬉しくなり、またぞんざいに扱われたり、
きつい言葉を掛けられると悲しくなります。
 
認知症は脳の病気であり、
記憶力や理解力と言った認知機能は低下しますが、
人としての「心」はそのまま残っているのです。
 
kaigo_kurumaisu_obaasan.png
また、認知症に限らず「病気=不幸」と考えてしまいがちですが、
どのような病気であっても、その人が幸せか不幸かということは、
また別の問題だと思います。
 
現在の医学では治せない病気であったとしても、
その人が幸せになれないことを意味するものではありません。
もし、その病気を完全に治すことができなくても
その方の苦痛が和らげらるように、
可能な治療を行うことが重要ですし、
ご家族や周囲の方の関わりの中で、
幸せを感じて生活していくことはできるのです。
 
決して治療を諦めるというわけではなく、
「病気を治す」から「幸せな生活を送る」
という意識に変わっただけで、
今まで見えなかった多くのことが
見えるのではないかと思います。
 
 
抜粋:Sunday世界日報「認知症でも幸せになれる」より
  PVアクセスランキング にほんブログ村

タイトルとURLをコピーしました