最近、幼い二人の孫が私を見つけると、
「おばあちゃん、かくれんぼしよう」と誘ってきます。
最初のうちは元気よく付き合うのですが、
数回も続くと鬼の私は、へとへとになります。
ところで、皆さんは「影ふみ遊び」を覚えているでしょうか。
鬼に自分の影を踏まれないよう、太陽を背にして走り、
体を小さく丸めて逃げ回る遊びです。
子どもの頃、夢中になって走り回った懐かしい思い出がある方も多いでしょう。
この「影」という言葉から、
文鮮明師が語った「正午定着」「影のない人生」という教えを思い出します。
正午定着とは何か
正午、太陽が真上に来ると影は最も短くなります。
頭上に真っすぐに太陽があると影はできません。
この現象になぞらえて語られたのが「正午定着」という教えです。
それは、神様を自分の頭上に据え、人生の中心に据え、良心に従って生きる姿勢を言います。
やましい心や偽りのない状態になることを意味しています。
人の目を気にして生きるのではなく、自分の良心の前に恥じない生き方をする。
そのとき人生の影は小さくなり、やがて影のない人生へと近づいていくというのです。
もちろん私たちは完全ではありません。
失敗もしますし、迷いもします。
しかし、「影をなくそう」と努力し続ける姿勢そのものが大切なのだと思います。
人生には八方から風が吹く
禅語に「八風吹けども動ぜず」という言葉があります。
人生には八方からさまざまな八つの風が吹いてくるというのです。
称賛や批判。
利益や損失。
成功や失敗。
苦楽。
私たちの心は、そのたびに右へ左へと大きく揺れます。
ポジティブになったりネガティブになったり、それは自然なことです。
ところが、この言葉の「動ぜず」とは、
感情を無くしたロボットになることではないのです。
嬉しいときは素直に喜び、悲しいときは悲しんでよいというのです。
しかし、大切なのはその、その感情をいつまでも引きずらないことです。
つまり、どんなに揺れても、
すぐにニュートラルな心の中心軸に戻れる柔軟な心を意味します。
中心軸から傾かない影を作らない精神状態です。

🌸竹のようナ柔軟な心で元へ戻る
強い風が吹くと竹は大きくしなります。
しかし風がやめば、竹は元の位置へ戻り、
折れることもなく、倒れたままにもなりません。
人の心も同じです。
良いことがあれば喜び、悪いことがあれば落ち込む。
それは人間として自然な反応です。
けれども、いつまでも有頂天になったり、いつまでも落胆し続けたりしない。
喜びにも執着せず、悲しみにも支配されず、必ずゼロの位置へ戻る。
それも「正午定着」の姿勢ではないでしょうか。
🌸人の態度に振り回されない
私たちの心は、相手の何気ない態度によっても大きく揺れます。
挨拶の返事が少しそっけなかっただけで、嫌われた。
メールの返信が遅れただけで、無視された。
話しかけられなかっただけで仲間仲間外れにされた。
そんな思いにとらわれることがあります。
しかし後になってみれば、
相手は忙しかっただけかもしれません。
体調が悪かっただけかもしれません。
自分とは全く関係のない悩みを抱えていたのかもしれません。
現実には存在しない影を、自分の心が勝手に作り出していることがあるのです。
自分が作り出した解釈に苦しんでいることが少なくありません。
つまり、被害妄想というものです。
相手の態度によって自分の価値が決まるわけではありません。
人がどう思うか、どう思われているかより、自分はどう生きるか。
良心に照らして誠実に真摯に生きているか。
それが自分自身の心の成長につながるのだと思います。
🌸左右だけでなく前後にも傾かない
人生は左右だけでなく、前後にも揺れます。
人と比較して自分を必要以上に小さく見てしまう劣等感。
反対に、自分は人より優れていると考える優越感。
どちらも中心軸から傾き、心のバランスを失った状態です。
劣等感は自分を暗くし、優越感は周囲との関係を壊します。
また、失敗を恐れて縮こまる心も、自分の力を誇示して威張る心も、
どちらも影を生み出します。
大切なのは、自分を過小評価することでも過大評価することでもありません。
ありのままの自分を受け入れ、感謝と謙虚さを忘れずに生きることです。
そのような人は自然体でありながら、どこか安定感があります。
周囲の人も安心し、信頼を寄せるようになります。
🌸自ら光を放つ人生へ
さらに考えてみると、影は光を受ける側に生まれます。
もし自分自身が光を放つ存在になれたなら、影が入り込む隙間は少なくなるでしょう。
もちろん太陽のように輝く必要はなく、
家族や周りに優しい言葉をかける。
困っている人に手を差し伸べる。
どんなことにも感謝を忘れない。
人の良いところを見つけて励ます。
そんな小さな光で十分です。
マタイ福音書 5章に、
「あなたがたは世の光であり、地の塩である」という有名な聖句があります。
光は周囲を照らし、人が進むべき道を示します。
塩は、食べ物に味を与え、腐敗を防ぎます。
「世の光となり塩となる」とは、
自分自身が周囲の人々のために役立つ存在になることなのです。
「喜び、幸せ、平和」をもたらす存在になりなさい、という意味です。
人は誰かを照らそうとするとき、自分のことばかり考えている暇がなくなります。
なぜなら関心の中心が「自分」から「人の幸せ」へと移るからです。
一人ひとりが「小さな光となり塩となる」。
そのような生き方こそ、影のない人生への近道なのかもしれません。
🌸まとめ
人生において本当に大切なのは、
影を作らない生き方を目指すことなのかもしれません。
褒められても驕らず、批判されても必要以上に落ち込まない。
人の態度や評価に振り回されない。
劣等感にも優越感にも支配されない。
どのような風が吹いても、竹のようにしなやかに元の位置へ戻る。
そして自らが小さな光となって周囲を照らしていく。
それこそが「正午定着」「影のない人生」の実践なのではないでしょうか。

