2010年8月の暑い日、
信州に住んでいる94歳の義父が家出をしてしまった 。
突然の連絡に何かの間違いでは・・・
義父は家族と喧嘩して 「東京に行きたい」と告げたという
つまり私達の家に行きたいと・・・
驚いた周りの人達が父を止めた
ところが、義父がどこかに消えてしまったのだ。
警察にも連絡したとのこと。
まだ足腰もしっかりして畑仕事もできる頼もしい義父。
本当に長野から東京に向かっているのか・・・
私達はすぐにでも長野に跳んで行きたかった。
しかし、父が上京して来るかもしれない・・・
早朝に家を出た父は夕方になっても帰らなかった。
いったいどこに行ったのか・・・
夜遅く、義父と同居の義兄のもとに数本の電話が入った。
一本目の電話は老人ホームからだった。
義父が訪ねて来て「ここに入れてほしい」と懇願したらしい、
しかし、ホームは介護の必要のない父を断った。
そのためホームも心配していたのだ。
二本目は親戚からだった。
「東京に行く、もう会えないから挨拶に来た」と言ったそうだ。
深刻な義父の様子を心配していた。
三本目の電話も親戚だった。
家には帰りたくないと言う義父を一晩泊めるという承諾の電話だった。
その日、義父は一日中、
友人や親戚に挨拶回りをしていたらしい。
義父は半年前に最愛の妻を亡くした。
認知症も合併し寝たきりの妻のオムツの交換や
身の回りの世話を何年もしていた。
「老老介護」だった。
「こいつは本当に頑張りやだよ!」
妻を褒める義父の口癖だった。
妻がどんな姿になっても、
介護がどんなに大変でも
決して文句は言わなかった。
介護がどんなに大変でも
決して文句は言わなかった。
最愛の妻を失って心の支えをなくしてしまった義父。
私たちと同居を望むならそうしよう。
父の笑顔が戻るように・・・。
私達のできる精一杯をしてあげよう。
私達夫婦はそう決断した。
「今まで何もしてあげられなくてごめんなさい、これから一緒に暮らそう」
私は、こんな手紙を送った。
父は、届いた手紙が嬉しくて親戚に手紙を見せて回ったそうだ。
後日、たった3行の短い手紙が届いた。
「ありがとう 本当に嬉しいよ お盆に会って相談しよう」
義母の新盆、私達は義父の元に帰省した。