亡き母に捧ぐ金メダル~喜友名諒選手~

愛をもって
空手発祥の地の誇りを胸に、圧倒的な強さで沖縄県勢として
初の金メダルに輝いた空手男子形の 喜友名(きゆな) 諒選手(31)
五輪の晴れ舞台を楽しみにしながら亡くなった母に、勝利の約束を果たした。
 
5歳で空手を始めた喜友名選手を、母・紀江さんはずっと見守ってきた。
大会では父勇さん(59)らと家族で観戦。
幼い頃から県内ではほとんど負けることはなかったが、
悔しい表情を見せれば紀江さんは「次、頑張りなさい」とそっと背中を押した。
 
空手漬けの毎日を支えたのが母・紀江さんだった。
高校の部活が終わった後、道場がある恩納村まで片道1時間ほどの道のりを送り迎えし、
車の中で食べる弁当を用意した。
 
世界選手権は2012年パリ、16年オーストリアと2度、現地で観戦して、
世界一の瞬間を見届けようと、家族全員で喜友名選手を支えた。
 
紀江さんに癌が見つかったのはその頃だった。
通院治療を続けながら、試合会場に足を運んだ。
14年から世界選手権を3連覇し、国内外で無敵の強さを誇るようになってからも、
息子の演武を心配げに見守った。
 
16年に空手が五輪競技に採用されると、「五輪まで頑張ろう!」が、両親の合言葉になった。
 
しかし、病状は徐々に悪化。 2019年2月、紀江さんは57歳で息を引き取った。
「金メダル、頑張ってね」
家族が見守る中、これが息子にかけた最後の言葉だった。
 
20210806-OHT1I51314-L.jpg
 
中学3年から師事した元世界王者・佐久本 嗣男(つぐお) さん(73)の教えは、
「一瞬でも気を抜いたら、死を意味する」
仮想の敵との攻防を演じる形の稽古は、常に緊張感に満ちている。
その中でも、喜友名選手の姿勢は群を抜いていた。
 
一日も練習を休まず、
「一切妥協をしない、努力の天才。誰かが止めないと何時間でも稽古する」
「お母さんが亡くなり、つらかったはずなのに弱音一つ吐かなかった。親孝行者だね」
と佐久本さんほほ笑んだ。
 
「自分の形を思い切りやれば、母も喜ぶ」
変わらず鍛錬を続けられたのは、東京五輪で恩返しをしたい、との思いからだった。
 
試合後の表彰式。
喜友名選手は母の遺影と金メダルを手に表彰台に上がり、一緒に君が代を聴いた。 
「しっかり、約束を守ったよ。安心して」
参考:
・沖縄タイムス+プラスニュース
・Yahooニュース
・世界日報

タイトルとURLをコピーしました