「人になめられるな」
石原慎太郎さんがおっしゃった言葉であると聞いたとき、
私は聞き違えたのではないかと思いました。
この言葉は、今の時代には少し強く、近寄りがたい響きを持ちます。
空気を読み、角を立てず、波風を立てないことが美徳とされる社会では、なおさらです。
けれど、この言葉ほど、人生の本質を突いている言葉はないと感じました。
作家であり、政治家であり、常に賛否の渦中に立ち続けた石原慎太郎さんは、
生涯を通して「人に迎合しない生き方」を貫いた人でした。
好かれるために自分を曲げるより、信じる道を貫く。
拍手をもらうために妥協するより、自分に誇れる生き方を選ぶ。
その姿勢は、ときに誤解され、批判されながらも、一度も揺らぐことはなかったそうです。
石原さんが嫌ったのは、自分に自信を持てずに振る舞うことでした。
人にどう見られるかを気にしすぎて、自分の考えを曲げてしまうことや、
波に逆らわない代わりに、自分の足で立つことをやめてしまうことでした。
そうして生きる人は、結局、誰からも尊敬されません。
だからこそ、「人になめられるな」という言葉が生まれたのだと思います。
つまり、ここで言う「なめられるな」は、威張れという意味や、
誰かを押さえつけろ、強く見せろ、という話ではありません。
それは、「自分自身を軽んじるな」ということで、
「人から軽んじられる」ような生き方はするなという意味でした。
自分の人生に責任を持て。
自分の言葉に、態度に、覚悟を持て。
その積み重ねが、自然と人からの敬意を生むのだ、という厳しくもまっすぐな人生観でした。
そして、石原慎太郎さんの言葉は、ここで終わりません。

それでも、感謝だ
晩年、病を得て、自由がきかなくなったとき、彼は人生を振り返りながら、
「それでも、感謝だ」
という境地に立ちました。
思い通りにならないことも多かった。
批判も、孤独も、決して少なくなかった。
それでも、自分の信じる道を歩いてきた人生を、
丸ごと引き受けて「感謝だ」と言える強さ。
そこに、石原慎太郎という人間の深さがあります。
困難な状況や危機を、人生のハイライトとして捉えました。
順風満帆な人生よりも、困難を乗り越えた経験こそが、
後になって人生を豊かにすると教えてくれます。
人になめられないように生きることは、楽な道ではありません。
ときに孤独で、ときに批判を受け、ときに損をすることもあるでしょう。
けれど、その生き方の先にこそ、自分の人生を肯定できる瞬間が訪れるのかもしれません。
迎合せず、誇りを持って生きる。
そして、与えられた人生を、最後には「感謝だ」と言って受け取る。
「人になめられるな、感謝だ」
この短い言葉は、強さと謙虚さを同時に抱えた、大人のための人生訓なのかもしれません。
