過酷な逆境を乗り越えてきたパラアスリート

ある日の出来事
パラリンピックには戦争や貧困、災害など過酷な逆境を乗り越えてきた、
壮絶な経緯を持つ選手たちがたくさん出場している。
 
重度の障がいを持って生まれ、
孤児院で育てられた子どもが養子として他国に引き取られ、
のちにパラアスリートとなったケースである。
 
アメリカは世界有数の国際養子の受け入れ大国である。
海外諸国から国際養子縁組を受けた子どもは
2002~2006年の年間2万人以上をピークに、
国内の里親に引き取られてきた。
 
パラリンピックはそんな「超人」たちに光が当たった。
パラリンピアンが懸命にレースや試合に臨む姿は多くの人たちの心を打つ。
それは苦難に決してひるまない、人間のたくましさと勇気を我々に教えてくれるからだ。
 
<ジェシカ・ロング選手(29)>
ロシアの孤児院からアメリカに引き取られた。
ジェシカは自由形、バタフライ、平泳ぎ、背泳ぎ、個人メドレーの5種目を泳ぎ切る。
アテネ大会から連続出場し、総メダル獲得数は23個(金13個、銀6個、銅4個)。
 
トヨタのCMでは、何事にも決してあきらめなかった「パラ競泳界の女王」
ジェシカへの敬意を込めて、
「私たち誰もが皆、内に希望と強さが備わっていることを信じている」
とのメッセージが流れる。
31日の400メートル自由形(同S8)で今大会三つ目のメダルとなる銀メダルを獲得し、
5大会で通算6個目。
 
<オクサナ・マスターズ選手(32)>
1989年、ウクライナ西部のフメリニツキーで、
先天性の重度の障害を持って生まれた。
3年前のチェルノブイリ原発事故で、
母親が被曝したことが影響しているとみられる。
両脚の脛骨が欠損し、左脚は右脚より約15センチ短い。
腎臓や胃の一部もなく、産みの親はソ連崩壊直前の国内の混乱を悲観。
自ら育てることをあきらめ、孤児院に預けた。
 
オクサナは三つの孤児院を転々とした。
転機が訪れたのは1996年の7歳の時。
アメリカ人女性研究者のゲイ・マスターズさんが
国際養子縁組の枠組みでオクサナを引き取った。
 
オクサナがアメリカにやってきたとき、
とても小さく3歳ぐらいの身体の大きさでしかなかった。
オクサナはアメリカの雑誌ニューズウィークにおいて、
自身が聞いたという当時のエピソードをこう振り返っている。
「アメリカに到着した時、栄養失調状態で初めて風呂に入ったとき、
バスタブが茶色になった」
 
ゲイさんは女手一人で娘を懸命に育てた。
オクサナは、9歳と14歳の時の2回両脚を切断する手術を受けた。
 
リハビリのために始めたのがボート競技だった。
無心になって船を漕ぐと、心が解放された。
 
パラリンピックと出会ったのは2008年の北京大会。
負けず嫌いの性格に火がついた。
 
「9.11」後に派遣されたアフガンで路肩爆弾の被害にあい両足を失った
海兵隊員アスリートと一緒にペアを組み、
ロンドン・パラリンピックではボート・混合ダブルスカルで銅メダルに輝いた。
 
ボート競技を断念せざるをえない背中を負傷する不運に見舞われると、
今度クロスカントリースキーはに挑戦。
2014年ソチ・パラリンピック大会への出場を果たし、銅メダル2個。
翌18年平昌大会ではクロスカントリーだけでなく、
パラバイアスロンにも出場し、金2個、銀2個、銅1個のメダルを獲得した。
 
ゲイさんは娘がくじけそうになるたびに
「孤児時代の経験があなたを強くしたのよ。あなたなら何でもできる」
と言って鼓舞したという。
「母は視野をひろげてくれ、おかげで自分のやるべきことに全力を傾けることができた」
とオクサナは語る。
 
今回の東京大会には自転車競技(8月31日、女子H4-5タイムトライアル、9月1日、女子H5ロードレース)で出場した。
 
9月1日には2度目の金メダルを獲得し、
夏と冬の両方で合計4つの金メダルと10個のメダルを獲得した。
 
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<タチアナ・マクファデン(32歳)>
ロシア・サンクトペテルブルクの孤児院から6歳で
米国人のデボラ・マクファデンさんに養女として引き取られた。
腰から下が麻痺した先天性の障がいを持つタチアナは、
ロシア語で「私は自分でできる」という意味を持つ「Ya sama(ヤ・サマ)」
をモットーに掲げる。
 
運動機能障害T54クラスでは短距離からマラソンを含む長距離まで、
すべての種目で他選手を凌駕する「鉄の女王」
 
2004年アテネ大会から今回で夏季パラリンピックには5大会連続出場しており、
東京では5種目にエントリーし、総メダル数16個のさらなる上積みを狙っている。
 
タチアナも冬季パラスポーツにチャレンジし、
14年ソチ大会ではクロスカントリー競技に出場。
ロシア人の産みの母親とアメリカ人の育ての母親を会場に招待し、
両家族が一緒になって愛娘を応援した。
 
レース終了後、タチアナはこういった。
「今日は、ただ家族のためにレースを行った。これがずっと夢見ていた瞬間でした。
私はアメリカ人ですが、自分の中にはロシア人であるという意識もある」
 
競技用車いすレーサーに乗ったタチアナは
今回の大会で出場予定の5つの種目のうち、
31日までに5000メートルで銅、800メートルでは銀、
1500メートルでは5位にとどまり、金メダルは獲得できていない。
 
最終日の9月5日に行われる女子マラソンにも出場し、
東京大会を終える。
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参考:
・GLOBE
・パラサポWEB
・NHKニュース

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