新年を迎え、新たな目標や決意を胸に、
静かに一歩を踏み出された方もいらっしゃることでしょう。
昔から日本には、
「口は災いの元」
「口は禍の門」
「口は禍の元」
といったことわざがあります。
不用意な一言が、思いがけない災難を招く。
言葉は十分に慎むべきだという、先人たちの深い戒めです。
子どもの頃から何度も聞かされてきた言葉ですが、
大人になった今でも、実践するのは簡単ではありません。
「悪い言葉はお口にチャック」。
そんな言い回しもありますが、
日々の生活の中で、私たちはどれほど言葉に心を配っているでしょうか。

言葉は「心」から生まれる
仏教には、人の行いを
身(行動)・口(言葉)・意(心)
の三つに分けて考える「三業」という教えがあるそうです。
私たちはまず心で思い、
それを言葉にし、
やがて行動へと移していきます。
つまり、すべての出発点は「心」。
言葉は、心の状態がそのまま外に現れたものだと言えるでしょう。
文鮮明総裁も、
「言葉は心の姿そのものであり、
言葉を正すことは、生き方そのものを正すことだ」
という趣旨の教えを、繰り返し語っています。
どれほど美しい理想を掲げていても、
日常の言葉に誠実さや思いやりがなければ、
その心は周囲に伝わりません。
反対に、真心のこもった一言は、
人の心を動かし、人生の流れさえも変えていきます。
言葉は「心の足音」
禅僧・松原泰道師は、
「言葉は心の足音である」と語りました。
心は目に見えません。
しかし、言葉の調子や響きを聞けば、
その人の心の動きは、自然と伝わってきます。
<禅僧・松原泰道師>

評論家・亀井勝一郎氏も、
「言葉は心の脈拍だ」と表現しました。
荒々しい言葉の裏には、乱れた心があり、
穏やかな言葉の奥には、安定した心がある。
私たちは日々、言葉を通して互いの心を感じ取っているのです。
<評論家・亀井勝一郎氏>

修験道の世界でも、塩沼亮潤大阿闍梨が著書に著わしています。
心・言葉・行いを清める「三密清浄」が重んじられてきました。
「日々善きことを思い、善き言葉を話し、良き行いをする」
特に口業――言葉は、
一度発すれば取り消すことができないからこそ、
慎重に、丁寧に扱うべきものといいました。
<塩沼亮潤大阿闍梨>

SNS時代に問われる「言葉の責任」
現代は、SNSを通じて、
誰もが簡単に言葉を発信できる時代になりました。
顔が見えないからこそ、
無責任な言葉や感情的な表現が、
思わぬ形で人の心を深く傷つけてしまうこともあります。
文鮮明総裁は、
「人を生かす言葉を選びなさい。
たとえ傷つけられても、
恨みの言葉ではなく、愛を残しなさい」
という趣旨の教えを残しています。
どんな状況でも、
どの言葉を選ぶのか。
そこに、その人の人格と人生観が映し出されるのかもしれません。
口は「幸いの門」にもなる
忘れてはならないのは、
口は災いだけでなく、
幸いを招く力もあるということです。
励ましの言葉。
感謝の言葉。
思いやりの一言。
何気なく掛けられた言葉に救われ、
再び前を向けた経験は、
誰にでもあるのではないでしょうか。
韓鶴子総裁は、
「感謝の言葉は天の恵みを呼び、
許しの言葉は人の心をひらき、
愛の言葉は人の心を動かす」
と語られています。
許し・愛し・感謝する――
それらはすべて、心の在り方が行動となって現れたものです。
そして、その言葉が、家庭や社会に温もりをもたらしていきます。
<文鮮明総裁・韓鶴子総裁>

口は禍福の門
結局のところ、
口は「禍福の門」。
災いを招くか、
幸いを招くか。
その分かれ道は、
言葉そのものよりも、
その根にある「心」にあります。
今日、自分はどんな心で、
どんな言葉を発しているだろうか――。
そんな問いを胸に、
一言一言を大切にしていきたいものです。
参考
・松原泰道師 法話(仏教伝道協会)
・塩沼亮潤大阿闍梨『修験のこころ』
・文鮮明総裁・韓鶴子総裁 講話・思想より
