「あら~、また焦がしちゃったの! お鍋が駄目になっちゃったじゃないの!」
「仕方ないじゃない! お砂糖が入った料理は焦げやすいのよ。そんなに怒らないでよ!」
我が家の私と娘の食事準備中の会話(口喧嘩)です。
自分が正しいと思った瞬間から間違いが生じると言います。
ついつい、人を評価するとか、
間違いを正してあげるといった誘惑に負けて、
人を傷つけて自己嫌悪に陥ってしまうことが時々あります。
「裁かない!批判しない!」は、私の永遠の課題。
『真の友は決して相手の欠点を指摘しない、たとえ家族であっても、とがめたてせず、あらさがしをしてはいけない』
たとえ家族であっても、とがめたてしたり、あら捜しないなんて厳しいですね。
『人を裁くな、自分が裁かれないためである』
マタイ福音書7/1の聖句です。
人を非難したら必ず自分に戻ってくると言いますが、
確かにそういうことってありますよね。
相手の間違いを指摘しても、それで相手が変わることは、
すごい人格者でない限り難しいとも言います。
なぜなら、指摘した内容がたとえ正しくても、
傷つけられたのは論理ではなく相手の感情だからだそうです。
相手の顔をつぶし自尊心を傷つけたら、
相手に反抗心を起こさせるだけに終わり、
何の効果もありません。
たとえ相手が間違っていても「正論」という刃物を振りかざさないで、
ひたすら共感し受け入れてあげたいです。
「もしかしたら私の間違いかもしれません」
「たぶん私もあなたと同じことをするかもしれません」
「私に比べればあなたのほうがましよ」
人は誰でも自分の間違いを自分で発見し、自分から認め、改めていくことができるのです。
『ごめんなさい…これからお鍋焦がさないように注意するね』と、
自分の過ちは素直に認めて言い訳などしなければ、
本当にお料理も焦がさないで済むようにのなるかもしれません。