会議中に、突然目の前に出されたお茶やコーヒーの器の音
おまけに、茶托にお茶がこぼれています。
特に会議中は、どうでもいいことでも
ちょっと気になることがあります。
目の前に そっと丁寧に出されたお茶、
お茶出ししてくださった方の仕草の中に「心」を感じて、
思わず「ありがとうございます」と言ってしまいます。
渡辺和子さんは若い頃、アメリカの修道院で修業されたとき、
「あなたは、食堂でお皿を並べながら何を考えていますか?」
と聞かれたそうです。
その頃、彼女は雑用やつまらない仕事に明け暮れて、
少し心に焦りがあったそうです。
そんな彼女に指導者は
「一つひとつ、音を出さないように、静かに置いてごらんなさい。
そこに座る人が幸せになれるようにと、心をこめて置いてごらんなさい」
と言って立ち去りました。
「このとき、仕事がつまらないのは、やりがいのある作業に
自分自身でしていないからだと、教えていただきました」
と、渡辺さんは言っています。
単純で馴れている作業は、何も考えなくて済みます
だから機械的で雑になりがちです。
忙しい時などは、誰も雑になりがちです。
忙しいという言葉の「忙」は、心を亡くすと書きます。
どんなことでも雑にしたら、
雑用になってしまうのです。
楽しい仕事にするのか、雑用にしてしまうのかは
心の持ち方次第かもしれませんね。
私は渡辺和子さんの言葉の中で
「丁寧に生きる」という言葉が好きですが
年を重ねるたびに、最近はこの言葉がやけに心に引っ掛かります。
「どんな小さなことでも、心を込めてしてみなさい!」
「丁寧に生きなさい!」
きょうも私の耳元で誰かがささやいています。