信仰の灯は消えない ― 解散命令の試練を越えて希望の未来へ

信仰

2026年6月23日。
家庭連合(旧統一教会)に対する解散命令が最高裁で確定しました。

これは単なる法人格の喪失ではありません。

多くの信徒にとっては、人生を支えてきた信仰共同体に対する「死刑宣告にも等しい衝撃」でした。

地裁、高裁、最高裁と続く裁判の中で抱き続けてきた最後の希望が断たれた日でもありました。

また、多くの宗教家、法律家、憲法学者、ジャーナリストの方々も、
信教の自由国際人権規範の観点から、この裁判の問題点を指摘してきました。

しかし、今回の最高裁決定では、そうした憲法論議については判断が示されませんでした。

それだけに、不安や悲しみを抱えている方も多いことでしょう。

しかし宗教の歴史は、真の信仰が組織や建物によって支えられるものではなく、
人の心によって受け継がれてきたことを教えています。

今こそ私たちは、先人たちの歩みから学んでみたいと思います。

長崎二十六聖人の殉教

430年前の1597年、長崎の西坂の丘で26人のキリスト教徒が処刑されました。

彼らは京都や大阪で捕らえられ、
長崎まで1000キロを素足のまま、見せしめで引き回されながらも信仰を捨てませんでした。

その中には12歳と13歳の少年もいました。
十字架の上でなお信仰を告白し、賛美歌を歌い続けたと伝えられています。

また、日本全国の殉教者は二十六聖人だけではありません。

江戸時代初期、日本全国で3千から4千人のキリスト教徒が迫害を受けました。

雲仙の地獄谷では熱湯による拷問が行われたくさんの人が殉教しました。
身体に重石をつけて海に沈められ、
極寒の広瀬川に沈められた人々や宣教師もいました。

それでも多くの信徒は信仰を捨てませんでした。

彼らにとって信仰は単なる組織への所属ではなく、命より大切な真理だったのです。

身体は滅ぼされても、信仰は滅びませんでした。

むしろその姿は、後世に希望を残しました。

<写真:長崎二十六聖人

<写真:仙台キリシタン殉教碑>

250年続いた潜伏キリシタン

その後、日本ではキリスト教が禁じられました。

教会は破壊され、宣教師は追放され、信者には厳しい弾圧が加えられました。

それでも信仰は消えませんでした。

長崎の五島列島や外海地方では、
潜伏キリシタン」たちが250年以上にわたり信仰を守り続けました。

観音像に聖母マリアの姿を重ねた「マリア観音像」を祀り、祈りを口伝えで受け継いだのです。

そして1865年、禁教の時代が終わりに近づいた頃、
大浦天主堂を訪れた信徒たちはフランス人司祭にこう語りました。

「私たちの心はあなたと同じです。」

この告白は世界中を驚かせ、歴史的な再会でした。

現在でも五島列島や外海地方には、潜伏キリシタンの集落や祈りの場が世界遺産になっています。

迫害は信仰を消し去ることができず、むしろその証しを歴史に刻んだのです。

<写真:大浦天主堂>

<写真:マリア観音像>

大本教も経験した苦難

日本の近代宗教史を振り返ると、大本教もまた大きな試練を経験しました。

1921年と1935年の大本事件では、国家権力による大規模な弾圧が行われ、
教団施設は破壊され、多くの信徒が逮捕されました。

当時は「大本教は終わった」とまで言われました。

しかし終わりませんでした。

戦後、大本教は再建され、現在も活動を続けています。

建物は壊されても、人々の信念までは壊せなかったのです。

信仰は誰にも奪えない

私はこれらの歴史を思うたびに考えます。

もし信仰が建物や組織だけで成り立つものであったなら、
キリスト教も大本教も日本から消えていたでしょう。

しかし消えませんでした。

なぜなら信仰は心の中にあるからです。

家庭連合も今、大きな試練の時を迎えています。

悲しみや悔しさを感じることは自然なことです。

しかし、その悲しみの中に留まり続けてはいけません。

私たちが学んできた価値や国や世界に向けた愛の実践は失われていないからです。

天を愛すること。
家庭を大切にすること。
人の幸福のために生きること。
国や世界の平和のために生きること。
許し、愛し、感謝すること。

これらは判決によって消されるものではありません。

むしろ、これから私たち自身の生き方によって証ししていくものです。

今こそ手を取り合う時

長崎二十六聖人も、潜伏キリシタンも、大本教の信徒たちも、
苦難のただ中では先が見えなかったことでしょう。

しかし後世の私たちは、その苦難が無意味ではなかったことを知っています。

だから今を生きる私たちも、目の前の試練だけで未来を判断してはならないと思います。

どうか悩まないでください。

全国に仲間がいます。
世界に仲間がいます。
同じ涙を流しながら祈っている人たちがいます。
命さえあれば、再び立ち上がることができます。

歴史が証明しているように、私たちも必ずこの試練を乗り越えることができるはずです。

これからの私たちにできること

今回の判決は大きな衝撃でした。

しかし、だからといって信教の自由を諦めたり後退したりする理由にはなりません。

信教の自由は日本の民主主義を支える大切な根幹です。

法人格の有無を超えて、この価値を守り続けることは未来の日本社会にとっても重要なことです。

そして今後求められるのは、言葉による主張だけではなく、私たち自身の生き方です。

家庭を大切にし、人のために生き、地域や社会に貢献する

その積み重ねを通して、「家庭連合とはこういう人たちなのか」と、
感じていただける歩みを続けていきたいと思います。

教団の未来は、新しい世代の手によって築かれていくことでしょう。

だからこそ、一歩一歩地道に歩みながら、
天の願いの実現に向かって努力を重ねていきたいと思います。

天のため。
家庭のために。
国のために。
世界のために。
そして、未来のために。

私たちは希望を失わず、共に前進していきたいと思います。

ダイアナ・ロスの希望の歌を胸に

夜がどれほど深くても朝は来ます。
冬がどれほど長くても春は訪れます。

私たちの信仰の火は誰にも消すことはできません。

だから希望を失わないでください。
顔を上げましょう。
今こそ手を取り合いましょう。
共に支え合って歩みましょう。
そして未来への希望を胸に、新しい一歩を踏み出していきましょう。

ダイアナ・ロス『If We Hold On Together』の歌詞が、今あらためて心に響きます。

If we hold on together
I know our dreams will never die


もし私たちが共に支え合うなら、私たちの夢は決して消えない。

💛YouTube動画『If We Hold On Together』をお借りしました。

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