昭和の歌姫として一世を風靡(ふうび)し、愛娘をトップスターにした母「藤圭子」さん。
藤圭子さんと宇多田ヒカルさんの母と娘は驚くほど境遇が似ています。
藤圭子さんの両親、圭子さん、宇多田ヒカルさんの
3代が遭遇した、離婚再婚と出産、家庭崩壊。
また、目の不自由な母親の苦労と努力で
流星のごとく出現した藤圭子さんと宇多田ヒカルさん。
しかし、はなばなしい光の中にいながら、
3代の母と娘の葛藤と誤解の溝は埋まらなかった。
宇多田ヒカルさんの本名は「宇多田光(ひかる)」
名前の由来は・・・
母親(藤圭子さん)が網膜色素変性症のため、
徐々に視力を失っていた時に授かった子であることから
「我が子から光が失われないように」
そんな願いを込めて命名されたそうだ。
(実は、藤圭子さんの母も目が悪く、圭子さんが母を手引きしていた)
宇多田ヒカルさんの出生の奇跡を当ブログ 『https://satofamily.net/371』に書いています
本とテディベアが好きなヒカルさんは、「本の世界」を次のように言っています。
「自分にとって唯一自由で、自分であることが許された、安心していられる場所」
「現実で自由にならないこと、耐えられないことから、いつでも逃げられる場所」
2010年に音楽活動休止を『人間活動』と発表したことについて、
次のように発言しています。
「自分の力で生きたい。色々と知らないことがあるまま生活しているので、
1人でも生きられるようになりたい。」
「得意なことばっかりやっても成長がないと思って。
もし私と同じく、自分の中の苦手なこと、避けようとしている部分に向き合っていきたいと、
考えている人がいるなら、一緒に頑張りましょう!」
「有名人(見られる側)になってからの十数年、どんどん自分が見えなくなっていってた。
全然自分のこと理解できてなかったし、周りの人たちのことも「知ろう」としてなかった。
苦しい、さびしい生き方をしてました。まだ若いうちに気付けてよかったです。みんなに感謝」
ヒカルさんの「人間活動中」の2013年、ショッキングなことが起こりました。
心の病を患って行方不明になっていた母親(藤圭子さん)が転落自死をしてしまったのです。
2006年から引き裂かれてしまった母と娘の悲しい再会。
ヒカルさんは翌2014年にイタリア人男性と再婚、
2015年には第1子となる男児を出産しましたが、離婚・・・。
宇多田ヒカルさんの透明な美しい歌声に、多くの人が鳥肌が立つと言います。
一回聞いただけなのに不思議と余韻が残るのです。
すべてのエモーションのベースに悲しみがあります。
単なる男女間の愛ではない、もっと深い愛の世界を捜し求めているからなのでしょうか・・・。
『嵐の女神』という歌詞の中に、ヒカルさんの母親に対する愛と許しの思いが
表現されています。
<嵐の女神>
嵐の女神
あなたには敵わない心の隙間を埋めてくれるものを探して
何度も遠回りしたよたくさんの愛を受けて育ったこと
どうしてぼくらは忘れてしまうの嵐の後の風はあなたの香り
嵐の通り道歩いて帰ろう忙しき世界の片隅
受け入れることが愛なら「許し」ってなに?
きっと… 与えられるものじゃなく、与えるものどうして私は待ってばかりいたんだろう
お母さんに会いたい分かり合えるのも生きていればこそ
今なら言えるよ
ほんとのありがとうこんなに青い空は見たことがない
私を迎えに行こう お帰りなさい
小さなベッドでおやすみ